CDの次作品のデモ録音 ー 5月から夏

最近はCDの次作品のデモ録音を始めていた。
二日間で8曲半を取ったが、まだまだ、たくさんの素材がありすぎて困っている。
このまま行ったら、10枚以上のCDの分量を、そのまま録音してしまいそうだ。
こういうことをしている時は、ただひたすら、面白い。
これほど面白い事は中々ないと思いながら音を録音して行く。

しかし、この数年思っているのは、人生には面白いことがありすぎる。
100年生きても足りない。
例えば、科学者の文書を読んでも、面白い科学者というのは人間も芸術家であり、クリエイターであり、想像力が豊か人がだから、新しい見方が出来る。Lynn MargurisやDorian Saganの科学の文書を読むと詩のように読める。ラバンやバローなどのダンサーやパフォーミング・アーチストの本を読んでもそうだし、自分で様々なダンスのクラスに行ってもそうだ。
生命科学者のLynn Margurisはアントナン・アルトーやシュールリアズムの影響を受けていて、小説家として本も出している。
あるタイプの人は、科学者として表現しようが、詩人として表現しようが、絵描きとして表現しようが、一つの思想を、様々な表現を使って表現する。

科学者の本を読んでいると科学者になればよかったと思ってしまい、気に入った科学者の本をひたすら全部集めてしまう。キャンベル、ユング等の神話分析の本を読んでいくと、神話学者か文化人類学者になればよかったと思ってしまう。人生の時間がたりなくなる。
春にウツになるという人のことを聞くが、こんなに明るく、暖かくなった時にどうしてだろう?と思ってしまう。
おそらく、生きていて、一番の問題は人間関係のトラブルと固定観念に頑固に固まった人が起こすトラブルだろう。
人と余計にかかわらない方が、楽しく生きれる。

音楽そのものだけには、興味がない。言葉も音楽も表現するためにある道具であって。それを作ることが目的ではない、と思っている。
言葉は語ることがあるから人は使う。それと同じく音楽も、それを使って語ることがあるから作られていく。
その語られる事というのは、言葉を超えたものであったりする。
60年代のロック・カルチャーはカルチャーとしての必然性があったから、面白かった。
音楽そのものだけが良かったか、というとそうではなかったかもしれない。
最近読んでいた、ジャン・ルイ・バローの自伝では、戦後の1946年に20歳になったばかりのピエール・ブーレーズと共に、新しい演劇と音楽のシーンを始めたことが書いてあった。その考え方をまとめた文章には、アントナン・アルトー等の影響も強いが、戦後のパフォーマンスと現代音楽のシーンをリードしていくものだった。戦争の破壊の後に新しいシーンを開いていくパワーがあって、その当時では面白いシーンだったに違いない。バローは、その後、ニューヨークから世界中に、最初にパリでブーレーズ、シュトックハウゼン、等と共に始めた音楽に影響を受けたものを聴くと、”これは私達が作り出したものだと、その父親のような誇り高い気持ちになる”と書いてあった。
戦後の1946年、ジャン・ルイ・バローとピエール・ブーレーズの最初の共演は、バローの作った『天井桟敷の人々』の舞台版だった。ブーレーズはオンド・マルトネ(メシアンの作品等で使われている電気楽器)を劇場で毎日演奏していた。今月の終わりに、パリ・オペラ座のバレエ団が新しく作られたバレエ作品『天井桟敷の人々』だけを持って日本をツアーするが、バローはこの作品についてどう思っただろうか?

リリースはまだ決まっていないが、デモ録音を始めて良いとあるレーベルから言われた。
そこで外苑前のレコーディング・スタジオで、弦楽四重奏のメンバー4人(甲斐史子、大鹿由希、宮野亜希子、松本卓以)とパーカッション奏者の立岩潤三さんを呼んで、この2-3年作っていて録音をしたかった曲から始めた。僕もアイリッシュ・ハープ、エレクトリック・ヴァイオリン、ギター、ベース、ピアノと歌と語りを録音した。

80年代の初めから、様々な録音をしてきた。
時々、何年も後に、その反応が分かる時がある。
僕の教えているアンサンブル・クラスに、僕のCD『Earth Guitar』で録音した曲を生徒達に、他のスタンダード曲と共にかけると、演奏したい曲によく選ばれる事がある。80年代で作った『Standing at the Edge』や『Dance of Life』等の曲。
『Standing at the Edge』はボスニア人のシンガー・ソングライターのヤドランカさんのCDで『Standing on a Cloud』という別ヴァージョンで録音されている。
この『Earth Guitar』は正式な録音まで、時間がかかつたCDだった。
86年にイギリスのバースという町で『Nova Carmnina』というアルバムを録音して、レコード会社MIDIからリリースされた。
87年には、その次作品としてのデモ曲をMIDIに届けたが、その時には反応がなかった。3枚のアルバム契約も切れた後だった。

その12年後の1999年に、MIDIの社長の大蔵さんという方から、『最近『Nova Carmina』を聴いていて、その続きを聴いて見たいと思っている』という電話があった。そして400万円の制作費と100万円の宣伝費を用意するとういう話だった。そのお金はトラヴェラーズ・チェックで渡すので、『Nova Carmina』の時のようにイギリスで録音したものをMIDIに届ければ、どんな使い方をしても良いと言われた。例えば、100万円で録音を完成出来るのだったら、残りは使いたいように使えば良い。 これが多くの音楽家や芸術家が最も望む条件だろうと思う。人は500万円渡されて、好きに使っていいよ、と言われたら、どう使うだろう?

使い方として、僕は出来る限り多くの作品を取ってしまおうと思ったので、数ヶ月間に渡って、長く細く使った。当時、尚美で教え始めだした時だったので、アンサンブルのクラスの生徒達も参加させて、使えるトラックは使った。イギリスでは丸一ヶ月間滞在して、その渡航費、滞在費、食費、等含めて、全ての予算は制作費から使った。イギリスで87年に作ってあったデモ・テープの曲に基づいて、8月頃から録音を初め、12月にイギリスで86年の『Nova Carmina』の時と同じスタジオをブッキングして、同じミュージシャンも数人頼んだ。
そして、その次の年の春にリリースした。2枚以上のCDに入る作品の分量を録音して、一枚にまとめた。
MIDIからは4枚の作品が出ているが、この作品が一番気に入ったものになっている。それだけの余裕が作品から感じられる。また、80年代よりも、技術的にも、人間的にも、進んでいた。若い頃に、良い曲を書いたとしても、その表現力は経験をつんだ方がうまく出来ていく。これは、優れているダンサーや役者でも同じだと思う。87年当時では、出来なかった事が出来るようになっていた。
今では、歌っていなかった歌が歌えている。

2000年代の前半では、ニューヨークのミュージシャン、ジョン・ゾーンがニューヨークで持っているレーベルTZADIKから3枚のCDを作ってくれた。そして、このもっと最近では、日本のZipanguというラジオ番組の制作をしていた会社から発展したレーベルから2枚のアコースティックのアルバムが出ている。
今、録音しているものはまた、今までのとは別の傾向のものだ。
ネオ・クラシックと言えるかもしれない中世音楽のようなクアルテットの曲。そして歌の曲。
まだ仕上がっていないので、あまり話せないし、書けない状態だ。

とりあえず、2日で8曲録音した。
もしも、今一千万円程の制作費で作品を依頼されたら、ただひたすら次から次へと録音してしまって、その映像作品を作り、本を作り出すだろう。
どこまで、人がついて行ってくれるだろうか?

Leave a Reply

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out /  Change )

Google photo

You are commenting using your Google account. Log Out /  Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out /  Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out /  Change )

Connecting to %s