Judy Collins の父親が亡くなった年に作詞作曲した”My Father” は自伝的な内容ではなく、フィックションだが、この曲の詞を書いた事によって、父親と精神的につながった感じがしたとJudy Collinsは書いている。Judy Collins の本当の父親は1886年頃にアイルランドから来た移民の子供で、4歳の時から目が見えなくなっていたが、ラジオ局のDJをコロラド州でやっていた。アイルランド人の移民であるという事を誇りに思い、いつもアイルランド民謡を歌い、ラジオ番組でアイルランド民謡の有名な歌手John McCormack等をかけ続けていた。”If You Ever Go Across The Sea To Ireland”, “When Irish Eyes Are Smiling”, や”I’ll Take You Back Home”を子供のJudy Collins に覚えさせた。ロッキー山脈の側に住みながらも、遠いところにあった故郷の夢を与えていた。
心理学者カール・ユングはアメリカに渡って、ネイティブ・アメリカンの人たちと話している内に, 不思議な事に気が付いた。育っている時にある文化というのは、当然大きな影響を与えるわけだが、育った土地も人に影響を与える。ヨーロッパから来た移民達はネイティブ・アメリカンとあまり交流がなくても、ヨーロッパの人たちとは違う、ネイティブ・アメリカンと似ている文化を気が付かない内にも持つようになっていた。
この曲を聴くと、ニューヨークで小学校に行っている頃に頭の中で浮かんでいた理想的なアメリカの家族のイメージが見えてくる。そして、自分も、その家族のメンバーだったような幻想に包まれる。この曲は子供用の絵本にもなった。僕は今でもそれを持っている。(この曲は1968年の作品)
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簡単な意味の訳
私の父はいつも私達に言っていた
いつか、フランスに住みに行こうね。
セーヌ川をボートに乗って
私はダンスを学ぶ
私達はオハイオ州に住んでいた
父親は石炭労働者だった
私の姉妹達はその内
デンバーやシャイアンに結婚に行った
末っ子の私だけが残っていた
私の父の夢はため息もなく消えてしまった
そして、私は今パリに住んでいる
私の子供達はダンスを学んだり、夢を見ている
私は子供達に、彼らが見たこともない石炭労働者の人生を語って聞かす
私の故郷の記憶はセーヌ川を漂っているボートのように私の中で浮かぶ
そして、パリの夕焼けを見ながら、お父さんの目を思い出す
My father always promised us
That we would live in France
We’d go boating on the Seine
And I would learn to dance
We lived in Ohio then
He worked in the mines
On his dreams like boats
We knew we would sail in time
All my sisters soon were gone
To Denver and Cheyenne
Marrying their grownup dreams
The lilacs and the man
I stayed behind the youngest still
Only danced alone
The colors of my father’s dreams
Faded without a sigh
And I live in Paris now
My children dance and dream
Hearing the ways of a miner’s life
In words they’ve never seen
I sail my memories of home
Like boats across the Seine
And watch the Paris sun
As it sets in my father’s eyes again