ドナルド・リチーさんと1949年に初めて出会った秋山邦晴さんの文章から

2014年の9月25日に、ドナルド・リチーのジャーナルに基づく僕の作曲した『Outside Society』という作品を渋谷のLast Waltzで演奏する。ドナルド・リチーは日本に1947年の冬に来てから、米軍の新聞Stars and Stripes にジャーナリストとして仕事を初め、後にはJapna Timesで書いていた。日本の映画や文化に興味を持つようになり、黒沢明、小津安二郎、溝口健二、そして60年代では篠田正浩、勅使河原宏の映画の情報をアメリカやヨーロッパに紹介し続けた。日本の音楽や文学についても 多くの記事を書き続けていた。しかし、彼のジャーナルやエッセイを初めて読んだ時、彼と共感する事が多いと気がついて、この作品『Outside Society』が生まれた。

ここでは、ドナルド・リチーさんと1949年に初めて出会った秋山邦晴さんの文章から抜粋したものを下記に紹介する。
ご興味のある方は是非見に来てください。
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ドナルド・リチー 人と仕事 by 秋山邦晴 (1989年 ー 草月シネマティーク「ドナルド・リチー氏の映像個展」パンフレットより)からの抜粋。
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リチーさんと初めて出会ったのは、1949年だったと思うが、その後二度目の来日以後は、いろいろな面で絶えずにお世話になった。
たとえば僕が関係していた音楽雑誌のために、リチーさんに作曲家伊福部昭訪問の原稿をおねがいして、いっしょに伊福部家を訪れたときのことは、いまでも鮮明におぼえている。それにレコード雑誌『プレイバック』に毎号新譜レコードの批評をおねがいしたりした。。。

これは戦後秘話とでもいうことになるが、伊福部昭、早坂文雄らの作曲家たちは、リチーさんの入手した現代音楽のレコードを聴かせてもらうグループの集まりを、毎月のようにやっていた。それは彼らの作曲家にとって、どんなに新鮮な刺激となり、創作の糧となったことだろう。

彼は学生時代にヒンデミットとストラヴィンスキー門下の先生に師事して、作曲を本格的に学んだ一時期があった。そういえば、リチーさんのピアノによる即興のすばらしさは抜群のものである。昔、作曲家黛敏郎の家でパーティーがあったとき、リチーさんはみんなの切望によって、ピアノを弾くことになった。はじめ、ひとつの古典的なテーマを演奏したとおもったら、つぎつぎに、いろんな作曲家のスタイルでそれが変奏されていくのだった。ラヴェルのスタイルのつぎには伊福部昭、ついでストラヴィンスキー、バーンスタイン、etc…と繰り出されていくその即興は、どれもがその作曲家の個性的なスタイルをはっきりとつかんだ見事な演奏で、みんなが唖然とするほどすばらしいものだった

リチーさんは何本も映画をつくっていた。Small Town Sunday (1941) 、そして二度目の来日以来、『青山怪談』(1957), 『し』(1958), 『秋絵』(1958)、『犠牲』(1959)、『熱海ブルース』(1962) 、『戦争ごっこ』(1962)、『ふたり』(1963) 、)、『ライフ』(1965) 、『黒沢明』(1975)…と精力的に、たいへん個性的な映画作品をつぎつぎと制作していった。
リチーさんの映画には、いつも死と詩、肉体と形式上学と精神の柔軟な運動、寓話的、心理的・哲学的な独特の世界観と美学が浮かびあがるように、僕には思える。

https://www.facebook.com/events/267587896785496/

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