最近、如月小春のCD『都会の生活』が再発されたらしい。INTOXICATEの最新号で小沼純一さんの紹介が載っていた。僕自身はCDとして頂いた事はないが、僕の作曲と演奏が入っている。今思うと、次のリンクのような曲を提供したかった。CDに入っている曲も好きだが、如月小春さんも次のリンクのような曲を入れたかったような気がする。今度再発する機会があったらプラスする事を考えて欲しいなあ、とつい思ってしまう。
如月小春さんのお芝居は、ある音楽ライターのお進めで初めて見に行った。その音楽ライターは、如月小春さんの劇団ノイズの音楽担当をしている近藤達郎 さんと僕が仕事をする事を進めていた。劇団ノイズは音楽と言葉の関係がすごく良かったのが印象だった。役者達もマイクを使い、言葉をリズム的に繰り返しながら語っていた。音楽には80年代初頭に初めて使われ出していたサンプリングがたくさん使われていた。音響的に面白かったし、その時代では新しかった。DVDが発売されれば、このCDよりも、その面白さが伝わるかもしれない。機会があったら、その印象についてもう少し深く書いてみたい。
如月小春さんは、高橋悠治さんと水牛楽団と一緒に仕事をした事があったと後で聞いたが、当時僕は高橋悠治さんとお付き合いがあまりなく、水牛楽団も見に行った事がなかった。それは誰からも『見に行かないか?』と誘われた事がなかったからに過ぎなかった。
この曲では僕がピアノを弾いている。実は僕はピアノはちゃんと習っていない。クラシック・ギターは8歳の時からレッスンに通っていた。ピアノを教えたいという発想が僕の両親になく、僕が生まれた頃は父親はクラシックに反抗していたと後で母親から
聞いた。僕の音楽キャリアでは多くの誤解や思い違いで仕事が来た時期があった。2003年頃にキーボードの千野秀一と向井千恵とのデュオをやった時があった。僕はコンピューターのエレクトロニックスをキーボードから出して、千野秀一さんはピアノを弾いていた。即興演奏が終わると、『(君は)キーボードの人じゃないんだ』と彼は言った。『ピアノを習ったと誰でも想像するじゃないか』とその後も言ったが、僕は人がどういう勘違いをするかは分からない。また、その勘違いは僕の方から来ているものではなかった。千野秀一さんも向井千恵さんも80年頃からお互いの事を知っていたはずだから、なおさら不思議だった。
しかし、中世音楽のモードでアドリブをするのは面白く出来る。ジョニ・ミッチェルやピーター・ハミル等譜面を読めなくてもピアノをやっている音楽家はアメリカやイギリスには多くいる。ここ弾いているものはスタジオでアドリブしたもので、たしか、これはアドリブの2テイク目で、弾いているものは誰も譜面にした事がない。一時間内でこのような音楽はアドリブで湧いてくるはずだ。
『都会の生活』のCDの話しに戻ると、僕が録音当時に聴いた印象では、近藤達郎さんの歌の曲『トロイメライ』がやはり一番言葉と音が合っていて、良い感じだった。作者の音楽スタイルがあまりにもばらばらだと、音楽としてまとまっていないCDに聴こえてしまうの残念だった。また、タイトル曲はレコーディングに参加したミュージシャンが難しいと言っていたの覚えていて、それがどうしても聴いた時に印象に残ってしまった。もう少し、演奏する音楽家に向いている曲に出来なかったのか?しかし、それは僕がCDに提供した曲にも言える事だったかもしれない。このリンクの曲『ながれる』は演奏者みんなが表現している感じがする。
しかし、CDでは持っていない。今度あらためて聴かせてもらえないものか?