ナオミ・クラインの本『ショック・ドクトリン』

先週の9/11に、この日はチリのピノチェト将軍がCIAの協力で軍事クーデターを1973年にチリに起こした日でもあると書いている人の文章をいくつかFBで見た。このクーデターの犠牲者としてシンガー・ソングライターのビクトル・ハラが殺され、チリの抵抗歌『不屈の民』(と日本語で翻訳されている歌)が流行ったのが覚えている。この時、アメリカのニクソン大統領によってチリに派遣された経済アドヴァイザー、ミルトン・フリードマンは中国の1989年の天安門事件にもかかわっていた事を知っている人は少ない。今の中国社会を作ったと言われている鄧小平はチリのピノチェト将軍の軍国主義政権から学ぼうと思い、中国にミルトン・フリードマンやチリの軍事クーデターにかかわったアドヴァイザー達を1988年から何度も中国に招待をした。鄧小平、江沢民や中国共産党のトップのリーダー達にアドヴァイスをした。西欧の多くのニュースは正しく伝えていなかった。天安門のデモはフリードマンの経済改革に対するデモだった。それが民主主義的でなかった事がきっかけでデモが起きた。ナオミ・クラインの本『ショック・ドクトリン』にこれについて詳しく書いてある。
鄧小平は共産主義を守ろうとしたのではなく、資本主義に向けたのだった。天安門に軍隊が入ると3万人は死傷し、全国では少なくても4万人が逮捕され、多くの人が死刑になった。チリの軍国主義政権をモデルに取り入れた国家を作る事によって中国は資本主義のスーパー・パワーとして生まれ変わった。中国の億万長者の90%は中国革命を起こした家族の出身であると言われている。中国の革命家達は資本家を倒し、多くの人を死刑にして、数年後にはその革命家達が共産党の名前を残しながら自分たちが資本家になり、左翼の言葉を使う軍国国家に変わって行った。これで20世紀の形の左翼と右翼は意味が失ったのであろう。同じ年に東ヨーロッパ中の共産政権が崩れ始めだしていた。
鄧小平はチベットの侵略と支配を計画する事によって中国共産党に知名度が上がった人だった。1950年代の毛沢東は、自分がいなくなっても、鄧小平がいるとよく言っていた。写真や映像を見るととてもチャーミングなカリスマを持っている男である。
ナオミ・クラインの本『ショック・ドクトリン』は面白い本で、図書館やアマゾンでも売っているので、ご興味のある方は見てみてください。

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