サティとドビュッシーの不思議な関係について。 by Ayuo

サティとドビュッシーの不思議な関係について。 by Ayuo
Erik Satie (about Claude Debussy): As soon as I saw him for the first time, I felt drawn towards him and longed to live forever at his side. For thirty years I had the joy of seeing this wish fulfilled…We understood each other at once, for it seemed that we had always known each other. (From Satie Ecrits p.68)

サティ(ドビュッシーについて):彼を初めて見た時、彼の魅力にひかれた、彼のそばで永遠に過ごしたいと思った。30年間もの間、この望みは叶うことが出来た。私たちは一瞬でお互いの事を理解できた。それは前からお互いのことを知っているかのようだった。(サティのEcrits より 68ページ)

これは30年間の間、毎週1回から3回、ドビュッシーの家に遊びに行っていた、
作曲家エリック・サティの書いた言葉。

Erik Satie:”I witnessed his entire creative development. The String Quartet, the Chansons de Bilitis, Pelleas et Melisande were born before me; and I still cannot forget the emotion this music produced in me. ”
サティ:彼の作曲家の発展を全て体験することが出来た。弦楽四重奏、ビリティスの唄、ペレアスとメレザンド。これら作品は私の目の前で生まれた。これらの音楽が私に呼び起こした感動は忘れることがないだろう。

Debussy played Chopin to Satie, being “able to analyze and understand his music as few virtuosi can.”ドビュッシーはサティにショパンを弾きながら、彼の作品を世の中のわずかの人しか出来ないほど理解をして、分析していた。
ドビュッシーやサティの最近の研究家のロバート・オーリッジは、ドビュッシーがオペラ『ペレアスとメレザンド』ほど複雑なオーケストレーションの曲をどうやって、他の作曲家が遊びに来ながら作曲できたのだろう、と書いている。
サティが遊びに来ると、ドビュッシーが手料理を作り、音楽、芸術、世間話等しながら、チェスやバックギャモン等のゲームをした。外にもしょっちゅう魚釣りに行ったり、パーティーに行ったりしていた。周りの人は二人の関係は何だろう?、と不思議がった。

しかし、サティは作曲家としてまだ全然認められていなかった。ドビュッシーも彼を出版社や音楽のパトロンには紹介しなかった。しかし、ドビュッシーにはサティが必要だった。ロバート・オーリッジは書く『Both composers were reclusive and disliked discussing their music with others, so it is likely that their frank conversations provided a very necessary emotional outlet.』(二人とも内向的で、人と音楽を話すのが好きではなかった。お互いに対しては素直に話せるので、これが彼らにとって必要だった。)

Erik Satie:”If I didn’t have Debussy to talk about things a bit above those common men discuss, I don’t what I should do to express my poor thoughts.”

当時、二人を知っていたLouis Laloy は書き残している:
“They seemed like two brothers, placed by the events of their life in very different situations, the one rich, the other poor; the first welcoming, but proud of his superiority and ready to make it felt, the second unhappy behind a jester’s mask, paying his share of things with witticisms to divert his host, hiding his humiliation; each constantly on his guard against the other, without being able to to stop loving him tenderly. ”

彼らの周りにいた人は、サティはドビュッシーの寄生虫と言ったり、ドビュッシーの道化師と呼ばれたりしていた。サティの作品はシンプルで、作曲を勉強する人はかならず書くフーガ等もサティには出来なかった。これはサティにとってコンプレックスになり、40代の時に作曲の対位法を習いに行った。しかし、それでも、二人はお互いを愛している兄弟のように見えていた、とLouis Laloy は書いている。
サティは、自分の本当の姿をあまり見せないようにしていた。”変わっている人”を演技するようになった人だった。自分の家には誰も招待せず、外に出かける前には自分の決めた姿をしっかりと作った。殆どの人生、彼は貧しかった。そして、彼にとって人生はつらかった。彼は自分の作ったキャラクターを演じるようになっていた。サティは書いている:『人生はいよいよ耐え難くなり、自分の土地に引篭もって、象牙の塔の中で過ごす決心をしました。徐々に人嫌いになり、心気症を増殖させていきました。私は最も憂うつな人間でした。全て音楽のせいです。悪い事の方が多かった。素晴らしい友人達と仲違いばかりでした。』

ドビュッシーの妻の娘、Dolly Helne Bardacは書く:
Erik Satie came to lunch regularly. I always awaited his coming with impatience, so unexpectedly comical was his way of expressing himself and his repartee in conversation.
サティはレギュラーにランチに来ていた。彼はとてもコミカルに表現出来る人なので、いつも彼が来るのが楽しみだった。
サティはパリから少し離れた屋根裏の部屋に住んでいた。そして、ドビュッシーは素晴らしい料理人だった。

Erik Satie:Eggs and lamb cutlets were the main items, but what eggs and cutlets!…I still lick my lips just thinking about them.
Debussy – who prepared these eggs and cutlets himself – knew the secret of these preparations. (Satie, Ecrits p58)
サティ:卵と子羊のカツレツがメインだった。しかし、何ておいしい卵と子羊のカツレツだったのだろうか?いまだに、その味を思い出すだけで唇をなめたくなる。ドビュッシーはどうやって美味しく作れるかの秘密が分かっていた。。(サティのEcrits より58ページ)

ロバート・オーリッジによると、1908年位までは音楽技術のない音楽家、サティと作曲のローマ賞をとった作曲家、ドビュッシーとの関係に見えていた。しかし、1910年代に作曲家のラヴェルがサティの作品を弾いて、影響を受けたと言い出すと状況は変わってしまう。

サティは次のように書く:
Erik Satie:One person who isn’t pleased is the good Claude. If he had done sooner what Ravel – who makes no secret of the influence I had on him – has done, his position would be different.

サティ:クロードは面白くなかった。もしも、クロードが先にやってくれていたら、違っていただろう。ラヴェルは、私、サティに影響を受けたとみんなに言ってくれる。

ドビュッシーはなぜサティが成功しているのかが理解しづらかった。そして、1917年のコクトーが企画した『パラード』の成功によってフランスの六人組からも時代の先駆者として認められる頃には、二人は会わなくなった。

サティはドビュッシーが亡くなった後に書いた:
Erik Satie:My poor friend! And to think that if he were still alive, we would today be the worst of enemies. Life – and the ‘Debussyists’ – would have taken it upon themselves to separate us, and to sow their seeds of hate between us. Our long friendship would have been ruined for evermore.
サティ:私のかわいそうな友よ。しかし、今生きていたら、世間やドビュッシーのフォロワー達がお互いを敵同士にさせたかもしれない。私達の長い友情は世間によって破壊されたかもしれない。
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