デヴィッド・ボウイと演奏するスティーヴ・エルソンというニューヨークに住んでいるバリトン・サックス奏者

この曲はボウイの2013年のCD『The Next Day』の曲で、僕にとって特に目立った曲。スティーヴ・エルソンというニューヨークに住んでいるバリトン・サックス奏者の吹くフレーズの周りに曲のミックスが作られている。僕はスティーヴ・エルソンと昔一緒に仕事をした事がある。この曲を聴くと、ボウイはそのプレイヤーが自分でも知らずに目立って出来る特長を引き出せるプロデューサーだという一つの例になる。スティーヴ・エルソンはかつて、80年代のヒット『モダン・ラヴ』でバリトン・サックスのソロを吹いている。2010年代に、このCDの準備が始まった頃に、ニューヨークの街角でボウイとエルソンはばったり会って、ボウイは『連絡するよ』とエルソンに言った。その頃、エルソンからボウイと街角で会って、『「連絡する」と言っていたがみんなそういうことを言うからね』と言っていた。その一年後、電話がかかってスタジオに呼ばれた。この曲は”全てのグラム・ロック・スターの為に捧ぐ歌”と一緒にプロデュースしていたヴィスコンティは語るが、ボウイは、この曲に1950年代のストリップ劇場で鳴っていたようなダーティーなサックスの音が欲しかった。そこで、エルソンの事を思い出した。ボウイはスタジオで、ソロを吹くときは曲のキー(調性)も考えずに、アウトして吹いて欲しいと言った。また、曲を知っているように吹くのではなく、数テイクしか取らないから、一回しか出ないような味が欲しいとエルソンに伝えた。この曲の録音には、その狙い通りのキャラクターが出ている。
かつて、キーボード奏者のリック・ウエイクマンはボウイはそれまでに会った、最もプロフェショナルなミュージシャンで、その音楽家から何が欲しくて、どう引き出せるか分かって出来る人だ、と語っていた。
僕自身がスティーヴ・エルソンと一緒に仕事をした時は、1984年のMIDIで作ったソロCDの時で、まだ僕にあまりスタジオ経験がなかった。まだ、2枚目だったが一枚目はソロのアンビエントの作品だった。バンドで録音するのは初めてだった。スティーヴ・エルソンは母からの紹介だった。母と一緒にニューヨークでバンドをやっていた人だった。当時、矢野ミュージックという音楽出版会社で働いていたピーター・バラカンさんが窓口になり、500万円のお金を私たちの銀行口座に振り込み、自分たちでスタジオとミュージシャンを抑えた。エルソンはボウイとFameというヒット曲を共作したカルロス・アローマにも紹介してくれた。今聴くと2-3曲好きな曲はあるけど、レコーディングのプロデュースの仕方がまだちゃんと分かっていないまま作ってしまった音が、今の僕にはしてしまう。スティーヴ・エルソンの特長もボウイが生かしたように、まだ出来ていない。その2年後にイギリスで録音した僕の『Nova Carmina』の時には、もう少し学んでいた。そのCDではフェアー・コンヴェンションのスティーライドラマーのデイヴ・マタックスやスティーライ・スパンのフィドラーのピーター・ナイトやヴォーカリストのマディ・プライアの特長も出ている。その人たちのプロフィールにも、僕のこのCDの名前が入っているのを見た事があった。

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