チリのシンガー・ソングライター、ビクトル・ハラを1973年のチリのクーデタの日に拷問してから撃ち殺したチリの軍人がフロリダで捕まった

https://www.theguardian.com/world/2016/jun/27/victor-jara-pedro-pablo-barrientos-nunez-killing-chile

チリのシンガー・ソングライター、ビクトル・ハラを1973年のチリのクーデタの日に拷問してから撃ち殺したチリの軍人がフロリダで捕まった。フロリダの裁判官はハラの未亡人と二人の娘に2800万ドル払うようにと言い渡した。しかし、捕まった元軍人のバリエントスは南米からアメリカに渡った貧しい移民で長年ファスト・フードのコックのアルバイトだけで生活をしていて、ほとんどお金がない移民の労働者だ。バリエントスはコミュニストが嫌いで、フロリダの裁判では、多くの人が彼の責任でビクトル・ハラは殺されたと証言した。チリでは彼以外に8人の元軍人が、1973年のチリのクーデタの日に違法的な殺人をしたという罪で指名手配 になっている。
権力を持つとサディストになる人間が多くいる。1930年代のスターリン時代のソ連では、そうした人間が交互に殺しあうようになった。KGBの前身NKVDの長を務めたニコライ・エジョフ-は自分の権力を使い、多くの人を拷問して楽しんだ。バイセクシュアルだったため、男も女も少年も少女も捕まった。ソ連についてのドキュメンタリーで、エジョフの娘が、父親のオフィスでかくれんぼを遊んでいた5歳の時に、拷問されている人間の写真集を見てしまって、ショックを受けてしまった時の事を語っている。『あんなにやさしいパパなのに、どうしてこんな面があるのだろう』と語っていた。しかし、大量の粛清によって国家や経済が機能不全になるとエジョフ本人も拷問されて殺され、その後継者、ベリヤも同じく権力を使って拷問、強姦、殺人をゲームのように楽しむ人だった。1934年から1939年の間にソ連の共産党員の80%がこのように殺されたと書かれている。それは、上からの命令だけではなく、ソ連で権力を一時的に持った人間が交互に殺しあっていた事が、今歴史を再確認すると見えてくる。
アンジェラ・カーター、スティーブン・ソンドハイム等多くの文学者にも影響を与えたユダヤ人の心理学者ブルーノ・ベッテルハイムはオーストリアのユダヤ人だったため、一時的にナチスの収容場に入れられていた。そこで、気が付いた事は、インテリや知識人が一番イジメを受けるという事だった。看守をしている人は労働者階級出身の人が多く、労働者階級出身の人は他の同じく労働者階級出身の人達を仲間として扱う。もしも、コミュ二ストとして捕まったとしても、多くのナチスの人達には元コミュ二ストだった人達も多かったから、間違った道のままにいたと解釈するだけだった。しかし、学校の先生などの知識人にはべつの態度を見せていた。そうした人に対しては、普通のユダヤ人に対してよりも最もサディスティックになってしまう、とユダヤ人のベッテルハイムは書いている。
ナチスにとっても、文革革命の中国の紅衛兵にとっても、ポル・ポトのクメール・ルージュにとっても、まず知識を持っている人が一番の敵だった。
右翼でも左翼でも過激な宗教からも、このような事件は起きる。そして、そういう時に、イジメを楽しむ人の言う”理想的な信念”は単に言い訳になってしまう。こうした事を心理的に研究してからこそ、未来に変化を作れると思う。

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