言葉に不自由がある人と長い時間を過ごすと学べるものがたくさんある

言葉に不自由がある人と長い時間を過ごすと学べるものがたくさんある。言葉を使ってコミュニケーションを取っている人よりも敏感に細かい人のシグナルを受け取っている感じがする。回りの人がどう物事を感じているのか?何を頭の中で描いているのか?言葉で自分がしたい事を表せない場合はジェスチャーや指を使うが、言葉で理解すると見えなくなるニュアンスを感じとっている。長年、言葉を話せなく育ってきた人に周りに何が起きているを聞いて見ると、普通の人には見えていない事を感じとっている事が分かる。
僕の音楽の生徒達の中に自閉症の障害を持っている人たちが数人いた。人とうまくアンサンブルの感覚を取れない人もいたが、その人の音に対する感覚は敏感なものだった。どのような音色をどのように与えたら良いかを感覚的に分かっていると思った事が何回もあった。アドリブや即興的なフレーズを入れる場合でも、いわいるうまいアドリブというよりも、その場所に必要なフレーズが何かを感覚的につかむ事が出来る生徒になっていた。そうした感覚から学べるものがある。
近代生活をしている人間はみんな言葉を使って物事を考えている。そして、人が最初に学ぶ字が、世の中がどう見えているかに影響を与えている。
アルファベットで物事を考えている人と漢字で物事を考えている人は、別の種類の感覚の人間になっている。これは民族と関係がない。日本人でも字を読むのが不自由な人は音で物事を考えているので、アルファベットの感覚と少し近い。
漢字というのは中国の漢民族が、広く世界を支配出来るように広めた文字であった。中国ではたくさん元々違う言葉で話していた部族がたくさんいた。統一するためには一つの絵が一つの意味を持つ言葉を広めた。今でも上海と香港と北京はかなり違う話し言葉を持っていても、同じ一つの絵を見せれば、その絵を見て何を表しているのかが伝わる。
文字には、その文化の思想がある。漢字を使っていれば、漢民族の作った思想や文化は伝わりやすくなる。ヴェトナムは漢民族の文化思想に支配されないように漢字を使うのを止めて、アルファベットで自分達の言葉を書いている。韓国でもハングルのみで言葉を表現出来るようになった。フィリピンでもアルファベットで自分達の言葉を表現している。この文章は皆様に向かって書いているので、漢字を使っているが、僕自身は日本語も漢字を使うのをなるべく止めて欲しいと思っている。ひらがなやカタカナで何とかならないだろうか?あるいは、それにアルファベットを混ぜる形や様々な方法がないだろうか?
アルファベットは音で物事や思想を表している。音で思想を表すというのは漢字で物事を表すのと物事の覚え方が違う。例えばアメリカでAn Apple a day keeps the doctor awayという韻を踏んだベンジャミン・フランクリンが作った有名なことわざがある。これを”毎日りんごをたべれば健康的にいられます”と直接にその意味を言うよりも、それを唱える英語の息のリズムがその意味を覚えさせるのに大きな役目を持っていると考えられる。そしてアルファベットには絵のようなヴィジュアルなイメージがついていないので、絵で表すほど直接的ではなくなる。英語の歌を日本語に訳すとあまりにも直接的に聞こえるのは、日本語はその漢字の絵が直接に意味とつながってしまうからだ。英語ではリズムや音の遊びがより生きてくる。音でイメージが浮かぶ思想や詩が可能となる。メタフォアや韻を踏む詩が多く生まれる。
実は上記の文章を書いた後に、近所の駅前の本屋さんによったところ、『中国にNOを言える日本』等の反中国をテーマとした本がたくさん今ベストセラーとなり、カウンターのところに並んでいるのにびっくりした。そういば、日本がバブルの時にはアメリカにNOを言える日本等のテーマの本があった気がする。最近では欧米に対するコンプレックスが少しおさまってきた代わりに、急速に経済発展をした中国とその政治関係に脅かされて、このような本が売れている時代になったか、と思った。本を開くと、その書き方が、イジメを受けた子供の文章のようにも見えて、逆に哀れな人だな、と見えてしまう。
そして、不思議に思うのは、右翼やナショナリストほど、漢字をたくさん使い、漢詩を書いたり、漢文化から発達した孔子の教え等を大切にしてしまうように思える。これは漢文化に対するコンプレックスを表現しているのではないだろううか?
漢字はいくら長い伝統があると言っても、自然に日本語を表現していた文字ではなかった。その結果、詩は日本では多くの場合、音を出さないで読むものになってしまっている。中国では、漢詩にリズムがあり、声を出して読み上げている。また、漢字を使う事によって、目で見る形から覚えるという風習が身についている。
日本での今の英語教育は文法の形を覚えさせるが、言葉がしゃべれない人が多い。音楽理論の本を見ても数学の定義のように音楽よりも先に数学の定義のように形ばかりが書いてある。音楽も英語も生きている言語で、文法の形だけで出来ているものではないので、そうしたものをフォローしても、実際には出来なくなくなってしまっている。
アジアで英語力が一番弱い国は日本であるとよく聞く。北朝鮮も日本に近いくらい英語力が弱いが、最近、北朝鮮さえでも英語だけで放送するアニメがテレビで始まったと聞いた。英語の勉強を幼稚園の頃から始め、テレビ、ラジオや新聞も英語だけの放送を多くして欲しいと考えている。言葉は世の中の見方を変える。新しい言葉をマスターするというのは、もう一つ新しい世の中の見方が出来るようになるという事につながると思っています。
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