Dance of Life はエドワード T.ホールの『生命の踊り』という本からインスパイアされた

ラテンの曲としてアレンジしたものをアップします。
この曲はサルサで使われる2-3clave と途中からボサノヴァのサンバのリズムになります。

Dance of Life はエドワード T.ホールの『生命の踊り』という本からインスパイアされた。
エドワード T.ホールは文化人類学者で、ある日ニューメキシコの公園の子供の遊び場を眺めていたら、それぞれの子供や家族のグループはそれぞれ別々のコミュニケーションのリズムをしているのがはっきりと見えてきた。ヒスパニックの家族は体の動きにも話し方にもあるリズムが見えた。アングロ・アメリカンの家族はそれとは全く違うリズムが見えてきた。コミュニケーションがうまくいっていると、その歯車がうまく回っている。それを見ながら、リズムとコミュニケーションに関しての一つの考えをまとめて本にした。

エドワード・T. ホールはたくさんの本を出している文化人類学者です。日本語に訳されている『文化を超えて』には次の説明文が書かれています。『文化の無意識的・非言語的領域に目を向ける重要性を説き、多様な文化が対立する現代に生きる人々に向けて、新しい共存のための見方を示唆』

僕は次の言葉を英語で作詞して、それに音楽をつけた。

Dance of Life by Ayuo
生命の踊り

これは時間にたいする感じ方のこと
生命の踊りでリズムをシンクロナイズする

私達が話し合うとき
私たちの神経は結びつく
動いている歯車のように
私たちの波動を合わせていく
それを生命の踊りに合わせてはめ、感じる

私たちはシンクロナイズしながら踊る
私たちのリズムはどうやって関係をつくっていくのか
地球のエネルギー幕の中で
時と空間を越えて
それを生命の踊りに合わせてはめ、感じる

時間は人生で役割を果たす
個人個人が一つに結びついて
一人一人のリズムの見えない糸は
隠れた壁によって孤立している
———-
Ayuo: ヴォーカル、ギター、シタール・ギター
Sara Yoko Benito: ヴォーカル
大熊ワタル:クラリネット
岡田由美子:ピアノ
岡田次郎:フレットレス・ベース
三浦智津子:ドラムス
さかたじゅんこ;キーボード

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エピジェネティックスについて

二つ全く同じ遺伝子を持っているクローン人間を作って、50年立ってからその二つを出会わせると全く別のものになっている。
背の高さから、話し方から、その人達の多くのものは別々のものになっている。
IQや趣味や頭の使い方も違うかもしれない。
これがエピジェネティックス。
遺伝子研究で今最も重要とされている研究。
この下記のリンクで見られる科学ドキュメンタリーの映像の話し。

ジェネティックスというのは、その元の遺伝子を指しているが、エピジェネティックスというのはその使い方に指令を出しているもの。
ドイツ人もフィリピン人もアメリカに連れて行って普通の学校で15歳まで育てれば、一生アメリカ人になるという例がよくエピジェネティックスの説明に使われている。日本人の両親も子供を連れてアメリカの一般的な学校で育てれば、アメリカ人として育てる選択を両親が子供にしている。
エピジェネティックスは、環境がどのように遺伝子を変化させるかという事を研究する。
がん細胞にどう細胞が変化するか、または、がん細胞を正常の細胞に戻す研究も、エピジェネティックスの重要な研究。

遺伝子は筋肉のような元の素材を作って行く、どのような人間になるかは環境と生き方が決め手になる。
食物の種も、どのような環境の土で育てるかによって、育って行く食物が変わってしまう。

動物に例えると、アヒルは生まれて最初に見たものを母だと思い込むといわれている。
最近の研究では育った環境によって変化した細胞は、その次の世代にも伝わると研究されている。
しかし、その次の世代の細胞も、また新たな環境で育つと変化して行く。

これで昔のSF小説に出てくるようにいくら優れている遺伝子を持った人間のクローン・コピーを作っても同じものにはならない事が分かった。

この映像はアメリカで科学の番組を作っているSciShowが作ったもの。面白い近年の科学の発見を説明する映像をたくさん作っている。

日本語の科学的な説明:
http://ja.wikipedia.org/wiki/エピジェネティクス
http://en.wikipedia.org/wiki/Epigenetics

エピジェネティクス(英語: epigenetics)とは、一般的には「DNA塩基配列の変化を伴わない細胞分裂後も継承される遺伝子発現あるいは細胞表現型の変化を研究する学問領域」である。
多くの生命現象に関連し、人工多能性幹細胞(iPS細胞)・胚性幹細胞(ES細胞)が多様な器官となる能力(分化能)、哺乳類クローン作成の成否と異常発生などに影響する要因(リプログラミング)、がんや遺伝子疾患の発生のメカニズム、脳機能などにもかかわっている。

”民衆”という想像上のコンセプトにこだわりがある人ほど、生身の人間の事を分かっていない

”民衆”という想像上のコンセプトにこだわりがある人ほど、生身の人間の事を分かっていない。これが20世紀に起きた悲惨的な歴史が今生きている私たちに教えた事だ。60年代から70年代に生きていた私たちは、学校でも日常生活でも一日中政治的な議論に巻き込まれていた事が多かった。毛沢東思想、チェ・ゲヴァラ、等がカッコウ良く見られていた時代だった。しかし、よく見てみると、このような政治的な”戦い”をしているつもりの人が描く”民主”というのはオトギ話に出て来る王子様と似ている。人間が本来持っている複雑な個性を無視してしまう。そして、本来の問題を無視して、政治家や政治的な体制のせいにしてしまう。また、人間的な愛情よりも経済的な問題を重視してしまう。
一番危険なタイプは、どこかで覚えた政治的なドグマを南無阿弥陀仏のお経を唱えるように語る人かもしれない。考える事が麻痺してしまっている状態の人が多い。コンセプトや方法論の方が個人的な人間の問題よりも重要だと思い込み、目の前に行っている事が見えなくなってしまっている。フランス革命を起こした啓蒙運動の理想主義的な発想は20世紀のポル・ポトで、その幻覚的な部分を見せたはずだった。
あるイギリス人の知り合いの音楽家は、1975年に彼が学生だった頃に、ポル・ポトがカンボジアの政権を取ると、彼の作曲の先生コーネリアス・カーデューは生徒達と共にカンボジアの解放を祝う為に出かけた。そして、カンボジアの解放やポル・ポトを讃える曲等を作曲していてみんなで演奏をしていた。数年後、『私たちはいったいなんてことしてしまっていたのだろう?カンボジア民衆の解放という名で歴史的に最も酷い虐殺の一つを祝ってしまった』とカンボジアの悲惨的な状況を後でニュースで見ると語っていた。ポル・ポトも特に悪い事をしようと企んでいた人でもなかった。”民衆の戦い”というコンセプトの為に人生を捧げたつもりの人だった。ただ、彼の理屈で行動する結果が当時のカンボジアになった。このような結末になる事を未来の世代は忘れるべきではない。
今現在の世界状況を見て分析する事は重要な事だ、責任ある人間はみんなそうするべきだろう。世の中には、いろいろな見方があり、それぞれの人がそれぞれの意見に対してポイントがあるかもしれない。一つの見方をフォローしてしまう事が独裁政権を作ってしまう。あるいは宗教団体になってしまう。

Ayuo – Leave That Place! – 森のタイコ叩き The Taiko Player of the Forest

Words written by Ayuo
Music composed by Ayuo
Piano Version performed by Akiko Samukawa
A Version for String Quartet and Voice can be found here

Music for the two versions are different.

Excerpts from the words:

NOW I WENT TO A GOOD SCHOOL.
いい学校で
PROVED MYSELF.
成績もよく
GOT A JOB IN THE LAW.
弁護士にもなり
CAUSE I WANTED TO KNOW WHY I WAS TREATED LIKE THAT.
というのも むかしのいじめのわけを知りたかったから
SO I COULD ALWAYS FIGHT,
いまなら法律を味方につけて
WITH THE LAW ON MY SIDE.
いつでもたたかえるんだ
BUT I TOLD MYSELF,
でも ほんとうは
I AINT GOING BACK.
帰りたくない
GONNA LIVE THIS LIFE,
いまのくらしは
WITH THE BEST SUITS,
すてきなス―ツ
WITH THE BEST HAIR,
いかした髪型
WITH THE BEST LOTIONS.
ローションたっぷり振りかけて
SPENT HOURS DRESSING MYSELF,
着付けに時間かけ
LIKE A GOOD CULTURED MAN.
さあ センセイさまのできあがり
THOUGH I KNEW THEY WERE THINKING,
でもわかっている ひとの思っていることは
“HE’S FROM THE JUNGLE,
あいつは森からやってきた
PROBABLY LIVED UP A TREE,
木のてっぺんで
PLAYED THE BONGOS FOR A LIVING,
ボンゴたたいていた
LIKE THEY SHOW ON T.V.”
テレビで見たのとおんなじに
BUT I SAID TO MYSELF.
でも そうじゃない
“I’VE LEFT THAT PLACE.
あの場所をすててきたんだ
FOUND A BETTER LIFE.
ましなくらしも見つかった
LEFT THAT MUD.
あのぬかるみあから ぬけだして
FIND WHERE I CAN FIT.”
おちつく場所にいまは いる
BUT THE DRUMS KEPT POUNDING IN MY HEART.
それでもたいこは 心のなかでなりやまない
I WAS PROUD TO BE SO MODERN,
こんなにモダンで
LIVING THE LIFE WITH THE MOST SOPHISTICATED.
いかしたくらしだ
BUT THERE WAS SOMETHING I FELT IN THE AIR,
でも どう思われているのか
I KNEW THEY WERE THINKING,
きこえてくるよ
“HE’S NOT CIVILIZED,
あいつはよそもの
HE’S NOT ONE OF US.”
文明人じゃない
AND ONE DAY IN FRONT OF THE MIRROR,
ある日のことだ 鏡の前で
AS I SAT DOWN TO DRESS,
ドレスアップ
TO PUT ON MY LOTIONS,
ローション振りかけ
AND TO DO MY HAIR.
ヘアメイク
I SUDDENLY SAID,
終わらないうち 思わず口をつく
“I AINT DOING THIS NO MORE”,
ああ もういやだ
I RAN OUT OF THE HOUSE.
半分はだかで ボンゴをもって
HALF-NAKED WITH MY BONGOS.
おもてにとびだし
PLAYED IN THE STREETS,
通りでたたく
WHILE SOME OF MY FORMER FRIENDS,
通りかかった
STOOD IN SHOCK.
知り合いは絶句
WHILE THE OTHERS GRINNED,
でもしたり顔で
SAYING THEY ALWAYS KNEW,
わかっていたさ
THAT HE WAS ACTING IT OUT.
演技していただけ
NOW HE’S REVEALED HIMSELF,
いま正体をあらわした
SHOWING WHAT HE REALLY IS.
ほんとうの姿があらわれた と
BUT I SAID TO MYSELF.
だが そうじゃない
“LEAVE THAT PLACE,
さあ 出ていくぞ
FIND ANOTHER LIFE.
やりなおそう
LEAVE THAT MUD.
あのぬかるみからぬけ出して
FIND WHERE I CAN FIT.”
おちつく場所を見つけよう
BUT THE DRUMS KEPT POUNDING IN MY HEART.

(copyright JASRAC)

Full text can be seen at:
http://www.ayuo.net/lyrics.php?id=3
Filmed Live at Kouendouri Classics on November 27, 2011

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All Music, Poetry and Lyrics have copyright.
They are registered internationally by JASRAC

Words, Music, Illustrations, Photos, Articles, Lyrics by Ayuo
© Ayuo All rights reserved

 

 

What Is Freedom Today by Slavoj Zizek

Watch this video from the British newspaper, The Guardian. It’s about 5 min.
Here, Slavoj Zizek presents an interesting view about why there is so much nationalism, racism, and religious fundamentalism in the world today. These people are looking for a different kind of freedom. He also talks about ISIS.
Watch it and see.
I would have wanted to translate some parts of it into Japanese, but I simply don’t have the time now.

この写真に写っている黒人は女性のシンガー・ソングライターのジョニ・ミッチェル

http://jonimitchell.com/library/view.cfm?id=3274

人は何にでもなれる!この写真に写っている黒人は女性のシンガー・ソングライターのジョニ・ミッチェルである。アルバム[ドンファンのじゃじゃ馬娘]を出したヴィデオで黒人のポン引きの役で登場している。そして、完全にその役をこなしている。ジャズ界の伝説的な黒人ミュージシャン、チャールズ・ミンゴスはこれを見て、是非ジョニ・ミッチェルとコラボレーションをしたいと申し込んだ。プリンスは、このアルバムで聴けるようなジョニ・ミッチェルとジャコ・パストリアスのインタープレイに影響を受けた曲『So Blue』をデビュー・アルバムに収録している。
人間の肉体や筋肉の動きは二人の両親から来ていて、それとは別に、人の文化的な感覚は育った国の社会や時代によって作られる。しかし、他人は勝手に作り上げたイメージを常に人に押し付けてしまう。両親から伝わった筋肉の動きの限界と可能性も分かりながら、人が押し付けるイメージから自由になったところで、自分の可能性が広がっていく。
ミュージシャンのルー・リードはかつて言っていた『You could be anything. I learned that from Andy Warhol.』(人は何にでもなれる。その事をアンディ・わーホールから学んだ。)joni-mitchell-as-a-black-pimp

チリのシンガー・ソングライター、ビクトル・ハラを1973年のチリのクーデタの日に拷問してから撃ち殺したチリの軍人がフロリダで捕まった

https://www.theguardian.com/world/2016/jun/27/victor-jara-pedro-pablo-barrientos-nunez-killing-chile

チリのシンガー・ソングライター、ビクトル・ハラを1973年のチリのクーデタの日に拷問してから撃ち殺したチリの軍人がフロリダで捕まった。フロリダの裁判官はハラの未亡人と二人の娘に2800万ドル払うようにと言い渡した。しかし、捕まった元軍人のバリエントスは南米からアメリカに渡った貧しい移民で長年ファスト・フードのコックのアルバイトだけで生活をしていて、ほとんどお金がない移民の労働者だ。バリエントスはコミュニストが嫌いで、フロリダの裁判では、多くの人が彼の責任でビクトル・ハラは殺されたと証言した。チリでは彼以外に8人の元軍人が、1973年のチリのクーデタの日に違法的な殺人をしたという罪で指名手配 になっている。
権力を持つとサディストになる人間が多くいる。1930年代のスターリン時代のソ連では、そうした人間が交互に殺しあうようになった。KGBの前身NKVDの長を務めたニコライ・エジョフ-は自分の権力を使い、多くの人を拷問して楽しんだ。バイセクシュアルだったため、男も女も少年も少女も捕まった。ソ連についてのドキュメンタリーで、エジョフの娘が、父親のオフィスでかくれんぼを遊んでいた5歳の時に、拷問されている人間の写真集を見てしまって、ショックを受けてしまった時の事を語っている。『あんなにやさしいパパなのに、どうしてこんな面があるのだろう』と語っていた。しかし、大量の粛清によって国家や経済が機能不全になるとエジョフ本人も拷問されて殺され、その後継者、ベリヤも同じく権力を使って拷問、強姦、殺人をゲームのように楽しむ人だった。1934年から1939年の間にソ連の共産党員の80%がこのように殺されたと書かれている。それは、上からの命令だけではなく、ソ連で権力を一時的に持った人間が交互に殺しあっていた事が、今歴史を再確認すると見えてくる。
アンジェラ・カーター、スティーブン・ソンドハイム等多くの文学者にも影響を与えたユダヤ人の心理学者ブルーノ・ベッテルハイムはオーストリアのユダヤ人だったため、一時的にナチスの収容場に入れられていた。そこで、気が付いた事は、インテリや知識人が一番イジメを受けるという事だった。看守をしている人は労働者階級出身の人が多く、労働者階級出身の人は他の同じく労働者階級出身の人達を仲間として扱う。もしも、コミュ二ストとして捕まったとしても、多くのナチスの人達には元コミュ二ストだった人達も多かったから、間違った道のままにいたと解釈するだけだった。しかし、学校の先生などの知識人にはべつの態度を見せていた。そうした人に対しては、普通のユダヤ人に対してよりも最もサディスティックになってしまう、とユダヤ人のベッテルハイムは書いている。
ナチスにとっても、文革革命の中国の紅衛兵にとっても、ポル・ポトのクメール・ルージュにとっても、まず知識を持っている人が一番の敵だった。
右翼でも左翼でも過激な宗教からも、このような事件は起きる。そして、そういう時に、イジメを楽しむ人の言う”理想的な信念”は単に言い訳になってしまう。こうした事を心理的に研究してからこそ、未来に変化を作れると思う。