Peter Gabriel and Angela Carter

Peter Gabriel and Angela Carter
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Quotation from Angela Carter (abridged from p123-127 of “The Sadeian Woman”
(日本語の短い感想文が下記に書いてあります。)
Words to Peter Gabriel’s song at the very bottom.

Consider the womb, the extensible realm sired in the penetrable flesh; most potent matrix of all mysteries. The great, good place; domain of futurity in which the embryo forms itself from the flesh and blood of its mother; the unguessable reaches of the sea are a symbol of it, and so are caves, those dark, sequestered places where initiation and revelation take place. Men long for it and fear it; the womb, that comfortably elastic organ, is a fleshly link between past and future, the physical location of an everlasting present tense that can usefully serve as a symbol of eternity, a concept that has always presented some difficulties in visualization. The hypothetical dream-time of the fetus seems to be the best we can do.
For men, to fuck is to have some arcane commerce with this place of ultimate privilege, where, during his lengthy but unremembered stay, he was nourished, protected, lulled to sleep by the beating of his mother’s heart and not expected to do a stroke of work, a repose, of course, not unlike that of a corpse, except that a fetus’ future lies before it. And the curious resemblance between the womb and the grave lies at the roots of all human ambivalence towards both the womb and its bearer; we mediate our experience through imagination and dream but sometimes the dream gets in the way of the experience, and obscures it completely – the womb is the First and the Last Place, earth, the greatest mother of them all, from whom we come, to whom we go.
The womb is the earth and also the grave of being; it is the warm, moist, dark, inward, secret, forbidden, fleshly core of the unknowable labyrinth of our experience. Curiously, it is the same for both men and women, because the fetus is either male or female, though sometimes both; but only men are supposed to feel a holy dread before its hairy portals. Only men are privileged to return, even if only partially and intermittently, to this place of fleshly extinction; and that is why they have a better grasp of eternity and abstract concepts than we do.
They want it for themselves, of course. But not, of course, a real one, with all the mess and inconvenience that goes with it.The womb is an imaginative locale and has an imaginative location far away from my belly, beyond my flesh, beyond my house, beyond this city, this society, this economic structure – it lies in an area of psychic meta-physiology…This is the most sacred of all places. Women are sacred because they possess it.
The truth of the womb is that it is an organ like any other organ, more useful than the appendix, less useful than the colon..
To deny the bankrupt enchantments of the womb is to pare a good deal of the fraudulent magic from the idea of women, to reveal us as we are, simple creatures of flesh and blood whose expectations deviate from biological necessity to sufficiently to force us to abandon, perhaps regretfully, perhaps with relief, the deluded priestesshood of a holy reproductive function. This mystification extends to the biological iconography of women.
The goddess is dead.
And, with the imaginary construct of the goddess, dies the notion of eternity, whose place on this earth was her womb. If the goddess is dead, there is nowhere for eternity to hide. The last resort of homecoming is denied us. We are confronted with mortality, as if for the first time.
There is no way out of time. We must learn to live in this world, to take it with sufficient seriousness, because it is the only world that we will ever know.

– Angela Carter (abridged from p123-127 of “The Sadeian Woman”

とても詩的で美しいアンジェラ・カーターの文章。
翻訳されていないし、翻訳する時間もない.
その文章の美しさを、別の言葉で伝えるのも難しい。
非常に簡単に、ここや他の文章でもカーターは語っている意味は:
天国は存在しない。死後の世界として人が想像するのは母の子宮にいた時の状態 (働かなく生きている状態)へのノスタルジーだろう。”永遠”というイメー ジも子宮にいた時の感覚を思い出す事から来ている。私たちが”私たち”として生きていられるのは、今現在いるこの世の中だけだと気が付いた時に初めて人は 本当に真面目にがんばって生きていく事が出来る。これしかないと分かると人はホッとする。
人はこの状態に戻りたいと思って、それにまつわる神話を作っていた。男性は子宮を自分で持っていない為に自分でも欲しいと思っている。男性はfuckとい う行動で一瞬だけ特別な場所に近くなった気になる。そして、人はその周りに宗教を作り、神秘思想を作ってしまう。秘密のされているものというのは、それだ けで大きなパワーを持つ。神聖で近寄れないものは、同時に汚れたものとして見られる。聖母マリアを讃える運動がカソリック協会で始まると、魔女狩りも同時 に始まる。人間の心理がそうさせてしまう。(ケガレが神聖なものとつながるのは西洋だけではないだろう。)

これは、しかし、物質主義を語っているのとは違う。アンジェラ・カーターはたくさんの世界のおとぎ話や神話を集めた素晴らしい本をいくつも編集して出版し ている人で、カーターほど世界神話に詳しい人は少ない。また、彼女が亡くなった時には、彼女の遺言にある詩人の書いた特定の祈りの言葉を唱えるように書い ていた。
祈りや心の中からの叫び声は人に伝わる。
私たち3次元の生き物には見えない次元に包まれているというのは現代の宇宙科学が研究している事だ。
人も他の生命と同じくゲノムから出来ている。新しい生命の遺伝情報には、最初の生命、そしてバクテリアから爬虫類、哺乳類への道を全てたどってから生まれ る。 これはそれぞれの人も”個人”ではなく、地球の歴史と完全に繋がっている事が見えてくる。”私”とか”僕”とよばれている存在も、いくつもの遺伝情 報から出来ているので、個人ではなく、総合された生き物として見れる。

しかし、DNAやゲノムの事ほど、勘違いされているものは少ない。
マット・リドリー、中村桂子やリン・マーギュリスの生命科学の本を読んで欲しい。
そこで書かれている事は一般的な知識をひっくり返す事である気がする。
政治思想よりもよっぽど革命的だ。
最近のナショナリズや人種主義の世界的な盛り上がりは、科学の一般的な情報の少なさからも来ていると思う。

日本での一般的なDNAの考え方は軍国主義を作った考え方から変わっていない。
いわゆるRacisim(人種主義)である。
そのような考え方が深く根強く”伝統”としてあるような気がする。
日本のサヨクも殆どが反米主義が中心なので、同じくRacisim(人種主義)の考え方を平気で語っている。
DNAやゲノムの知識があまり伝わっていないのは、”難しい”という偏見、そして生命の誕生や性的な事について真面目に語る違和感だったりする。
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次のPeter Gabriel の曲の後半(2:08から先)は上記のAngela Carterの文章とのつながりがあるように思ってしまう。
僕はAngela Carterの文章を読んだ時、この曲が聴こえてきた。

Out of woman come the man
Spend the rest of his life gettin back where he can
As a bow, so a dove
As below, so above

From the black hole
Come the tadpole
With the dark soul
In coal she burn, she burn

As I drove into the sun
Didn’t dare look where I had begun
Lost among echoes of things not there
Watching the sound forming shapes in the air

From the white star
Came the bright scar
Our amoeba
My little liebe schoen

– From Humdrum by Peter Gabriel
http://www.youtube.com/watch?v=PaLJQD_2M6c

 

アンジェラ・カーターの本

最近はアンジェラ・カーターの本を読んでいる。アンジェラ・カーターの文章を読んでいると、とても 音楽的でありながら、頭いっぱいにイメージが広がって行く。このような文章を書ける人は少ない。声を出して読みたい文書だ。リズムの流れ方等も自然に音楽 のように言葉が聴こえてくる。そして、場合によっては、そのイメージを読む人の頭に描かせたい為に、正反対の意味の持つ言葉を隣同士にぶつけてしまう。
アンジェラ・カーターの文章は細かい。作曲にたとえるとアルバン・ベルグの曲のように、表現一つ一つに細かい表現がされている。
カーターはおとぎ話や民話・神話に基づいている物語を数多く書いている。彼女は、これを’demythification’と呼んでいる。それは神話から 非現実的な部分を削り落とし、現実的な本当の意味を見つめる事である。ローリー・アンダーソンはルー・リードについて、ルーの歌はダイレクトで刺激的だ が、とても美しく真実を表現出来る、と語っているのとも似ている。アンジェラ・カーターの文書はリアルでありながら、音楽的でファンタジーに満ちている。 なかなか、これはない表現だ。それも言葉で意味を書いているのだけではなく、サウンドを作り、頭で広がる絵のようなイメージを作っている。彼女の書く文章 はマジカル・リアリズムとも呼ばれている。そして、サルマーン・ルシュディーやジャネット・ウインターソンは、彼女の書き方に影響受けていると本人達が自 分で語っている。
’Demythification’は神話の分析とも似ている。ユングの後継ぎとなったMarie-Louise Von Franzのおとぎ話しの分析を思い出させるところがある。アンジェラ・カーターはヒッピー世代で1940年に生まれ、1992年に亡くなった。始め頃の 本では、ヒッピー世代の考え方の影響が強かった。しかし、70年頃にある文学賞を優勝した。それは外国で過ごすお金が賞金だった。彼女はそれを使って日本 に来た。それは、Judeo-Christian(ユダヤ教、キリスト教、最近ではイスラム教も含む)のように聖書の考えがあまり浸透していない国はどん なものかが知りたかったからだった。香港やシンガポールやマレイシアだとイギリスの領土であった期間が長く、英国の影響が出ている。日本は、そういう意味 でエイリアンの国だ。それは住み慣れている人には分からないかもしれない。
日本には来たが、その奨学金では、生活全てが出来なかった。多くの人は英語を教える仕事を見つけるだろうが、彼女はある情報の勘違いから銀座のバーのホス テスを2年間程やった。それは彼女の文学を変えた。人間が非常に現実的に成長して行った。イギリスに戻ると、彼女の書く文章にもその変化があきらかになっ た。1992年に亡くなるまで、世界中の大学に呼ばれるようになった。今では20世紀の英国文学の代表的な作家となっている。イギリスで高校から大学に上 がる時に取る英国文学のA level テストやO levelテストでもカーターの文学について書く人が多いために国家試験用の分析書も最近では発売されている。
また、イギリスの新聞Guardianでイアン・ブルマ( 数ヶ月前にfacebookで紹介した『Inventing Japan』等の作家)についてのエッセイ等を書き、それが今彼女のエッセイ集に入っている。
ドナルド・リッチ∸はアンジェラ・カーターについて素晴らしい文章を書いていて、それはリッチ∸のエッセイ集に入っている。
ドナルド・リッチーが書いているように、一つの土地だけで育ってきた人間は金魚鉢のなかで泳いでいる金魚のようなもので、自分のしている行動を分析する事 があまり出来ない。習らった事を周りの人間達と共有して、それを次の世代に教えるだけになる事が多い。しかし、金魚鉢からいったん出てしまえば、世の中が 変わって見えてくる。人が外国に行って、外国人として生きるというのはそういう事を学べる事もある。一度、元の国から離れ、どこか別の場所に行ってしまえ ば、その人の感覚は変わり、二度と戻らない。
江戸時代では、日本に住む人が海外に出てから、戻ろうとしたら死刑にしていたのは、人の感覚が変わり、二度と戻らない事に気が付いていたからだ。伝統文化 とは洗脳する方法で、それに気づく人は永遠に社会に戻れなくなる。最近、アメリカやイギリスで育った中東(アフガニスタン、イラク、パキスタン)の子供た ちが両親と同じ価値観を持てない事を親が理解出来ず、親が自分の子供を殺害してしまうという事件がいくつかあった。サルマーン・ルシュディーはこれをテー マに小節を書いている。アンジェラ・カーターがイギリスに戻ると、イギリスも別の目で見るようになった。より客観的になり、ラディカルな表現をするように なった。

このヴィデオの出だしでは彼女自身が自分で朗読している。他にもyoutubeでは、アンジェラ・カーターの文書を声出して朗読をしている映像にしてアッ プしている人が何人もいる。また、映画になっている作品もいくつかある。日本でも発売されているニール・ジョーダン監督の『狼の血族 』もその一つ。その映像はとてもきれい。
https://www.youtube.com/watch?v=81uU7TXH3YE

アルツァイマーで亡くなって行く母を描いたJudy Collinsのこの歌

アルツァイマーで亡くなって行く母を描いたJudy Collinsのこの歌をyoutubeで発見した。2012年11月に発売したliveのdvdに入っている。ラフマニノフのピアノ協奏曲を若い頃にオーケストラと弾いていたJudy Collinsは73歳でも優れたピアノの弾き語りの演奏をしている。彼女のクールで客観的なストーリーの語りには心を打たれる。このような内容の曲はこのように歌われるべきだと思う。

簡単に意味だけを訳すと:
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彼女はほとんど自分の名前も分からない
彼女は眠る、たそがれ時に、
そして記憶は子供時代に戻って行く
音楽があった。。。常に

彼女が若い頃に、私の父と踊りに出かける時は、いつも綺麗な色の絹の服を着て
彼女のサテンのマントからシャネルの香りがしていた
彼女が生きている間に、20人の大統領も見ることが出来た
彼女はオバマに投票した

彼女は私の名前もほとんど分からない
たそがれ時に
一日中ほとんど眠り続けている
時々起きると、家に帰ると私に言う
『どうやって私をここで見つけたの、ここは私の家ではないの』
彼女の庭は草ぼうぼうになっている
彼女は家に帰ると私に言う
そして、たそがれ時に、両目が閉じる
『家はどこにあるの?』と私が聞くと
彼女は答える『それは秘密』
そして、庭の花のようにきえさった

She’s a lady and she barely knows her name now
In the twilight as she sleeps
And her memories chase her down the days of childhood
There was music…always music

She’s a lady she always dressed in silk and
Had her hair done
And her clothes were pretty colors
And the scent of the Chanel in her satin cloak
When she went dancing with my father
When they were very young
She’s a lady and saw nearly twenty presidents
And she voted for Obama

She’s a lady and she barely knows my name now
In the twilight
And she sleeps most of the day
And when she wakes up
She says that she’s going home and asks me how I knew where to find her
In this home that’s not her home
She sees her garden
Growing wild since she to leave the
Sweetness of those afternoons on her patio
Where Robert kept the flowers blooming
She’s a lady and she’s going home she tells me
As her eyes close in the twilight
I ask her where and she smiles and she tells me
It’s a secret
And then she’s gone
Just like the flowers
In her garden