下記にリンクに続いて、宇宙科学者ジェームス・ラヴロックや哲学者スラヴォイ・ジジェクのインタビュー。
是非、多くの方々に見て欲しいです。日本語の字幕付きです。
現在の地球や社会状況について語っています。
下記にリンクに続いて、宇宙科学者ジェームス・ラヴロックや哲学者スラヴォイ・ジジェクのインタビュー。
是非、多くの方々に見て欲しいです。日本語の字幕付きです。
現在の地球や社会状況について語っています。
最近の自分のやっているものこそが、今までよりも表現者として過去を超えていると思っているが、ライヴに着て頂けない限り、今では中々お聴かせする事が出来ない。
昔の音源ではなく、最近のものをシェアしたいところだが、先ほどyoutubeをつけたら、昔の僕の音源を誰か知らない人がアップしてあった。久しぶりに 聴いてみたら面白かった。これは8人編成で何度かライブをやっていた頃のスタジオ録音だった。バルカン半島のジプシーのダンスで使われているリズムの曲。 しかし、テーマは雅楽の楽器、篳篥がで吹いている。これがすごくいい味を出している。中央アジアのパノラマ的な広がりを感じさせる。僕はブズーキと歌。当 時は大熊ワタルさんの篳篥と僕のブズーキで何度か越天楽をダンス・チューンとしてやった記憶がある。メンバーは次の通り:Ayuo: Bouzouki, Vocals, 大熊ワタル: Hichiriki(篳篥), Clarinet, 太田恵資: Violin, 関島岳郎:Tuba, 植村昌弘:Drums, 三浦智津子:Drums, 西村拓也:Bass, Sine Qua Non: Rhythm Programming, David Lord: Mix in England, Maha: Live Belly Dance, スズキコージ:Live Cohjizukin Robot
今ではこれだけの編成でやるにはリハーサルするにも、録音するにもコストがかかりすぎて難しいかもしれない。残念だ。
今度は最近の録音を自分でアップするようにします。
Although I’d love to share with you some of my more recent recordings, which I feel is quite an improvement over the old recordings in every way. I just found that someone I don’t know has uploaded an old recording of mine released in 2000 that I have not heard for quite some time now.
This is a studio recording of a group that I performed a few concerts with. around the year 2000.
The Hichiriki, a double reed instrument, which is usually used in the court music, Gagaku, adds a real nice taste to the theme.
I start to see inside my head some kind of a panoramic vision of miles of deserts with some small wooded areas in what I imagine to be Central Asia. During this time, Wataru Ohkuma and I used to also play the Etenraku, a Gagaku composition, said to have originated in Central Asia, as a dance tune with his Hichiriki and my Bouzouki.
The members were:
Ayuo: Bouzouki, Vocals,
Wataru Ohkuma: Hichiriki, Clarinet,
Keisuke Ohta:: Violin,
Takero Sekijima: :Tuba,
Masahiro Uemura::Drums,
Chizuko Miura: :Drums
Takuya Nishimura: Bass
Sine Qua Non: Rhythm Programming,
David Lord: Mix in England,
Maha: Live Belly Dance,
Suzuki Cohji:Live Cohjizukin Robot
It would really be difficult to rehearse and record something with this many musicians involved. It would simply cost too much money for rehearsals and recordings. Too bad.
Next time, I’ll try to put up something something more recent.
https://www.youtube.com/watch?v=iDYM5QZq2eo
(大西穣さんのリンクをshareします。日本語は下記にあります。スクロールして見てください。The Japanese translation is below.)
This is a link to a video on youtube of a performance I did of my composition “Leave That Place” for voice recitation and string quartet in 2010. I am going to be performing this on March 28 at a concert in Yotsuya in Tokyo organized by Joe Onishi.
The performance , next week will be an arrangement of this piece for voice with string trio and piano.
The theme here is one that I have written about throughout my lifetime. People who see the titles of many of my compositions will note that they are called things like “Just Another Stateless Wanderer”, Alien Zero”, “A Language You Can No Longer Speak” (also called “Different Languages”for open-tuning guitar) and many others. They are about people (like myself), who have become social outcasts, aliens, outsiders, and foreigners, where ever they go. This has always been one of the central themes of all that I do.
The words spoken and sung here were inspired by the life story of an African percussionist, who worked as a studio musician for much of his life. He talked about how he was regarded as a social outcast in his home village, but where ever he went, he was still just an outsider, until a hippy musician in the West introduced him to the life of a musician.The words are mine: “Leave that place. Find another life. Leave that mud. Find where I can fit. But the drums kept pounding in my heart.”
I am working now on a more large scale composition, which I see as a culmination of many of the thoughts on this theme. The text is not written by me, but by a journalist and writer who had been living in Tokyo for many years, choosing to live as a “foreigner” and meeting and working with many people that I also personally knew.
When I read his journals and essays, I, at once realized that I had been feeling many of the same things that he wrote about. I also felt the urgent necessity to create this into a music theater piece.Hopefully an audience in the 22nd century may understand this more than the people we have to deal with today.
Other large themes that I have always worked on comes from trying to make sense of our life today. Long ago, poets and composers may have written religious pieces. Medieval composers from the Orient to the West had made music dramas from such themes. I get a lot of inspiration from reading books by scientists, cultural anthropologists, psychologists, and scholars who study the many different aspects of human culture. Authors like Jeanette Winterson and Angela Carter from the 20th century and now have also been big inspirations. And ancient poets like Rumi still have a lot that we can learn from.
大西穣さんがリンクしてくれたyoutubeのヴィデオをshareします。この曲は久しぶりに来週の3月28日に大西さんが企画した四谷三丁目での茶会 記でのコンサートで演奏されます。元は弦楽四重奏で2010に演奏されましたが、今回は歌、朗読、弦楽トリオとピアノのアレンジで演奏されます。
この曲のテーマとなっているものは僕が一生書き続けているものの一つです。タイトルを見て気がつく人もいると思いますが、(オープン・チューニング・ギ ターの為の”Different Languages”『異なる言葉』、『異国人ゼロ』、『国のない無宿者』等の曲は私のように、どこに行ってもアウトサイダー、異国人として生きなければ いけない人のことです。これは私の場合では自分で選んだことではありません。(自分から放浪人のような生き方が格好良いと思う人も世の中にはいますが)。
この曲の言葉は日本語と英語で朗読されたり、歌われたりしますが、あるアフリカ人のパーカッショニストのライフストーリーを聴いてインスパイアーされたも のです。彼は自分の村では、非人として差別を受けて、留学しても、アフリカから来た外国人として仲間外れになっていたが、ある日、外でボンゴを叩いている とヒッピーのミュージシャンと出会い、その後スタジオ・ミュージシャンになってしまう。
今、このようなテーマで大型な作品を計画しています。自分の書いたテキストではないが、日本に長年ジャーナリスト、作家として住んでいたある人の文章に自 分が長年思っていたことと同じ事がかかれてあったので、それに基づいてテキストを用意している。彼の場合は外国人として、自分で選んで住んでいた。こうし た曲は22世紀になったら、その存在が認めらるかもしれないと願う。アメリカでは、multicultural societyが生み出す新しい人びとの詩の朗読会や、ラップ・コンサート等も見れるが、今の時代の日本では、はたしてどうだろう?
これ以外の作品でも同じだが、今生きている私たちの人生をどうとらえたらよいかを様々な面から研究して、それを作品にする事によって、その答えが見えて来 る気がする。昔の時代の人はそうした時には、宗教曲を書いたのかもしれない。中世時代では中東にも中世ヨーロッパにも神秘的な音楽劇が作られ、上演されて いた。ダンスもこれと深く関わっていた。今日では、生命科学者、文化人類学者、心理学者、等人間の様々な面を研究する人達の発表する文章が僕にとって一番 のインスピレーションとなる。また、ジャネット・ウインターソンやアンジェラ・カーター等の20世紀の作家たちからも大きな影響を僕は受けている。(ジャ ネット・ウインターソンの絵本を僕が日本語の訳したものが小学館から発売されています。『カプリの王様』という本です。アマゾン等でも売られています。)
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Joe Onishiのページから:
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これはAyuoさんのパフォーマンスの中で特に好きなもののひとつ。
Ayuoさんは思春期を60−70年代のNYのアートシーンの中で過ごし、英語ネイティヴで普通の日本語話者がアクセスできないようなアートや学問の知識に非常に詳しい。
やっていることもジャンル分けが不可能でAyuoさんというジャンルを作ってしまった感じ。
3月28日はこの曲もやります。
四谷三丁目
茶会記
〒160-0015 新宿区大京町2-4 1F
お電話 03-3351-7904
(営業時間のみ応対可)
メール sakaiki@modalbeats.com
本当は客席で見たくもあります。
http://www.youtube.com/watch?v=4IsdEbRtYZ8
スコットランドのTheatre Royal, Glasgowの現在のホームページで2013年11月15日にRichard Alston Dance CompanyがAyuoのタンゴの音楽とベンジャミン・ブリトンの音楽で公演をして、そのプログラムでツアーをしていると書いてある。
http://www.theplace.org.uk/theatre-royal-glasgow
そのトップの文章:
For Richard Alston ‘every dance is a love affair with his chosen music’ (Times). Our Autumn programme matches the billowing tango of Ayuo with the exhilaration of Benjamin Britten. –
See more at: http://www.theplace.org.uk/theatre-royal-glasgow#sthash.Hsu53pzj.dpuf
Ayuo’s Contemporary Dance Music というyoutubeのplaylistを作りました。
最初に出ている作品は数年前に新国立劇場でやったものです。
2013年にはドイツのStuttgart Ballet のプリンシパル・ダンサーと振付師Bridget Breinerのプログラムでも別の振り付けで僕のタンゴの作品が公演されました。
”Choreographer Bridget Breiner (www.bridgetbreiner.com) loves that particular Eurasian Tango so much, she wants to have it in the program”というメールを頂きました。
見てみてください。
Ayuo’s Contemporary Dance Music
Youtube playlist
http://www.youtube.com/playlist?list=PLF7CEBF93A1F8477B
By Title:
Ayuo – 3 Goddeses
Ayuo – EurasianTango 1 with dance
Ayuo – Eurasian Tango 2
Ayuo – Eurasian Tango 3
Ayuo – Eurasian Tango 4
Ayuo – Eurasian Tango 5
海津 賢さんの自宅スタジオで録音させてもらった曲を『The Way You Look Tonight』アップしました。
歌はAyuo.
ピアノは僕の打ち込み。
キーボード・アレンジは海津 賢さんです。
日本では『今宵の君は』として知られているジェローム・カーン(『煙が目にしみる』の作曲家)の曲。
映像は昔のフレッド・アステアのダンス。
ゆっくりしたテンポで見ていても迫力があります。
理想的なパフォーマンスですね。
Protoolsで 一人で自宅録音2005年に録音した『A Stranger』をyoutubeにアップして見ました。
オリエント風のサイケデリック・エレクトロニカでしょうかな?当時はベリー・ダンスと共にこのような音楽をライブで演奏していた。
John Zorn のレーベルTzadikから発売しているCD『AOI』に入っています。
低い声のコーラスは粟津ケン。
ミックスは前田もとひこ。
それ以外の楽器を弾いています。
ブズーキ、シタール・ギター、ベース、ティン・ウィッスル、etc.
ソフト・シンセをたくさん使っている。ドラムはキーボードを手で叩きながら録音した。:
A Stranger
All instruments played and recorded by Ayuo on Pro-tools:
Ayuo: Bouzouki, Sitar-Guitar, Cornemuse, Electric Guitar, Bass, Soft Synths
(Chameleon 5000, Computer Muzys (Midi sequencing), DS 404, B4, imPOScar,
Sample Tank, Dalai Lama,) Fue, Tin Whistle, Darbukka, and voice.
Ken Awazu: Low Male Chorus on “A Stranger”
Maeda Motohiko: Mixing
Ayuoのオープン・チューニング・ギターと歌の演奏。1997年のライブ。イギリスやアイルランドのトラディションナル弾き方やバグパイプやフィドルの指使いを使っている。ブリティシュ・トラッドや中世ヨーロッパ音楽をやっていた事によって学んだ弾き方。このような弾き方も僕のギター・レッスンで教えています。興味ある方は連絡をください。この曲は、2000年のCD『EARTH GUITAR~千の春の物語』(MIDI)に収録した時に少しアレンジを変えた。
これは2007年位に作ったCM曲。坂本龍一のある音源を聴いて、それと似ている雰囲気の物をアイリッシュ・ハープや中世ヨーロッパの楽器を使って作ってください、という依頼だった。このような依頼は時々あった。Notationのソフトウエアを使って2曲ほどのスケッチを作曲して、それをMIDI音源に変換して、ProToolsでMIDI音源の上にアイリッシュ・ハープ、コルナミューズ、プサルトリー、シタール・ギターを重ねた。曲が決まった後、スタジオで生楽器を取り直して、上野洋子さんのコーラス・ヴァージョンも録音した。こうしたアレンジやこのような楽器が必要な方がいらっしゃれば、いつで連絡をください。
Ayuo/Ohta Hiromi (太田裕美)のCD”Red Moon”の曲を誰かがyoutubeでアップロードしてあった。2001年に初めてmacのラップトップを買って、それにProToolsの録音ソフトを入れて自分で録音を始めて見た。この曲も、それを使って作った。
この曲は一度もライブで演奏した事がない。言葉を日本語で書いて、その上にメロディーを一枚の紙に書いただけで、それ以外のパートはProToolsでエレクトリック・ギターを自分で録音しながら作っていった。コードのストラミングもスライド・ギターもベースのような音も、同じ一つのギターにエフェクトやプラグ・インを使って録音した。その後に、ナイロン弦のギターを重ねて、Matoさんがタブラを叩いて、太田裕美さんが歌った。友人のエンジニア前田もとひこ がミックスした。
言葉は日本語で自分で作詞したが、その使い方や意味にはむしろ英語的な影のメタフォアが意識されている。歌っている太田裕美さんには、その意味を伝えていなく、僕にとってはそれを伝えなくても良いと思っていた。この曲はニューヨークのTZADIKレーベルから発売されていて、ヨーロッパに住む知らない人がyoutubeに、この曲をアップしたページの下のコメントの部分に、なぜこの曲を書いたかを英語で書いた。
時間が立って、今になって聴くと、良い曲だったかも、と自分でも思った。
Judy Collins の父親が亡くなった年に作詞作曲した”My Father” は自伝的な内容ではなく、フィックションだが、この曲の詞を書いた事によって、父親と精神的につながった感じがしたとJudy Collinsは書いている。Judy Collins の本当の父親は1886年頃にアイルランドから来た移民の子供で、4歳の時から目が見えなくなっていたが、ラジオ局のDJをコロラド州でやっていた。アイルランド人の移民であるという事を誇りに思い、いつもアイルランド民謡を歌い、ラジオ番組でアイルランド民謡の有名な歌手John McCormack等をかけ続けていた。”If You Ever Go Across The Sea To Ireland”, “When Irish Eyes Are Smiling”, や”I’ll Take You Back Home”を子供のJudy Collins に覚えさせた。ロッキー山脈の側に住みながらも、遠いところにあった故郷の夢を与えていた。
心理学者カール・ユングはアメリカに渡って、ネイティブ・アメリカンの人たちと話している内に, 不思議な事に気が付いた。育っている時にある文化というのは、当然大きな影響を与えるわけだが、育った土地も人に影響を与える。ヨーロッパから来た移民達はネイティブ・アメリカンとあまり交流がなくても、ヨーロッパの人たちとは違う、ネイティブ・アメリカンと似ている文化を気が付かない内にも持つようになっていた。
この曲を聴くと、ニューヨークで小学校に行っている頃に頭の中で浮かんでいた理想的なアメリカの家族のイメージが見えてくる。そして、自分も、その家族のメンバーだったような幻想に包まれる。この曲は子供用の絵本にもなった。僕は今でもそれを持っている。(この曲は1968年の作品)
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簡単な意味の訳
私の父はいつも私達に言っていた
いつか、フランスに住みに行こうね。
セーヌ川をボートに乗って
私はダンスを学ぶ
私達はオハイオ州に住んでいた
父親は石炭労働者だった
私の姉妹達はその内
デンバーやシャイアンに結婚に行った
末っ子の私だけが残っていた
私の父の夢はため息もなく消えてしまった
そして、私は今パリに住んでいる
私の子供達はダンスを学んだり、夢を見ている
私は子供達に、彼らが見たこともない石炭労働者の人生を語って聞かす
私の故郷の記憶はセーヌ川を漂っているボートのように私の中で浮かぶ
そして、パリの夕焼けを見ながら、お父さんの目を思い出す
My father always promised us
That we would live in France
We’d go boating on the Seine
And I would learn to dance
We lived in Ohio then
He worked in the mines
On his dreams like boats
We knew we would sail in time
All my sisters soon were gone
To Denver and Cheyenne
Marrying their grownup dreams
The lilacs and the man
I stayed behind the youngest still
Only danced alone
The colors of my father’s dreams
Faded without a sigh
And I live in Paris now
My children dance and dream
Hearing the ways of a miner’s life
In words they’ve never seen
I sail my memories of home
Like boats across the Seine
And watch the Paris sun
As it sets in my father’s eyes again