11月6日のパフォーマンスからBreath of Life とEyes and Movements.

English translation is on the youtube link. please click the link for a full translation.)
11月6日のパフォーマンスからBreath of Life とEyes and Movements.
作詞作曲:Ayuo
物語はハワイ神話『ペレ』に基づく
ペレの妹、ヒイアカ、がロヒアウとカウアイ島で出会う場面。

Ayuoはロヒアウの役、Nashaalはヒイアカの役を演じている。
ピアノは瀬尾真喜子
マイクやPAなしで演奏しています。
僕にとっては動きがサイレント映画の場面のように感じます。

最初の『Breath of Life』は以前に取った録音を流しています。
(録音の参加者はyoutubeのリンクで見れます。)
映像の撮影: Asako Morishita

物語は次の通り:
———————
『ペレ - ハワイの神話』 テキスト, 作詩:Ayuo 翻訳:管啓次郎

火山と地震の女神であるペレはタヒチからやってきて、姉妹たちとともに、ハワイ島東海岸プナの火山地帯に住むことにした。そのとき、彼女は夢で魂となって自分の体から飛び出し、北にあるカウアイ島に住んでいたロヒアウの歌を聴き踊りを見ようとした。ロヒアウは美しい少年だった。彼はその島のフラの達人であり、ペレは彼にひとめ惚れしてしまった。
こうしてペレは精霊としてロヒアウとともに踊った。
ついでペレはロヒアウにいった。「私は姉妹のひとりをそちらに送り、ハワイ島の私の家で暮らすようおまえを招きます。」

それからペレは目を覚まし、彼女の魂は体に戻った。
彼女は姉妹たちを集め、誰がロヒアウを連れてくるかと訊いた。
でも姉妹たちはそれほどの長く危険な旅をしたがらなかった。

ただいちばん若いヒイアカだけが、旅に行ってもいいといった。卵だったころからペレが胸で温めて育てた子だ。
ペレは彼女にいった、「旅に出なさい。おまえを邪魔するものは何もない。おまえの力は女の力。男の力など、比べものにもならない」
未知への長い旅は、自分自身の中での長い旅に似ている。
ある問題に直面するとき、それに似たなんらかの傾向を自分自身の中に見出すことになる、それに気づくことが人生におけるひとつの学びなのだ。
ヒイアカがカウアイ島に着いたとき、ロヒアウは死んでいた。彼の魂はこの生きている者たちの世界を離れ、別の次元にいた。

(Chant) Breath of Life by Ayuo

(命の息よ
人の中に入りなさい

人の心よ
これが命の息です

両目に水をふりかけ
きれいに表れた両手で
足にも水をかける

命の水よ
あなたによって 命を生かしてください)

するとロヒアウは叫び声をあげて目を覚ました
それは生まれ変わりの叫びだった。
もとの体への。

こうしてヒイアカはロヒアウに命を取り戻させ、彼と連れだって、ハワイ島の家に戻る旅にかかった。
ロヒアウはすでに、自分を生き返らせてくれた女神ヒイアカに愛情を抱くようになっていた。
彼は彼女にむかって愛を表そうとするが、彼女はそれに応じることができない。姉のペレのもとに、彼を連れて帰るという約束をしていたから。

(歌)「目と動き」(Ayuo作)
(Song) Eyes and Movements by Ayuo
— with Makiko Seo ans Nashaal

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ピーター・ハミルとはたくさんの音楽の仕事を一緒にやった

この映像のピーター・ハミルとはたくさんの音楽の仕事を一緒にやった。
1986年から1988年、そして1997から1999年。
毎年のように会っていた。
そして、彼の仕事の仕方や考え方からも多くの影響を受けた。
僕のプロデュースした、日本の箏の奏者、沢井一恵のCD『目と目』に収録されている僕の作曲『Song to Fallen Blossoms 』(散りゆく花の歌)では、このVan Der Graaf Generator のドラマー、ガイ・エヴァンスとも一緒にレコーデイングをした。
その音源はこの曲と似ている雰囲気を持っている。
それは、この映像の3人の内の2人が、その曲で大きな役目を持っていたということもあるかもしれない。
ドラムのオカズの入れ方もテンポも似ているところを感じさせる。

この映像は2010年のスタジオ・ライブの映像。
ジェネシス等の同年齢のグループとくらべると、今とっても元気なのが伝わって来る。
見ていて嬉しくなる。

この曲の歌詞を簡単に訳すと次の通りになる:

殺人者が私の中にいる
彼の存在は感じられる
時々、彼は浅い眠りにいる
静かな彼の部屋の中で
しかし、私の目が丸く見開いて、彼の目が私の目から飛び上がる時がある
彼は私の言葉で話し、心の中を刻んでいく
その通り
殺人者は生きている

天使たちが私の中で生きている
彼らの微笑みが感じられる
彼らは私を撫でて、私の心の嵐をなだめる
そして彼らの愛が私の痛みをいやす
彼らは私が落ちていく時にを見守っている
天使たちがいる限り、私はおさえられるだろう

どうしたら私は”自由”になれる
どうしたら救われる
”私”は私だろうか?
”私”は他人でもあるのだろうか?

そして、私も私の中に生きている
自分が何であるかが分からない時もある
私は英雄ではない
呪われている人ではないと願う
私は一人の人間
殺人者も天使たちも私と同じ
独裁者、救世主、
戦争と平和の亡命者
人間がこの世に生きている限り
存在し続ける
殺人者も天使たちも私
—————-

この曲が作られてのは1970年頃。当時は学生運動や政治運動等が盛んで、西洋諸国,
日本や西側の多くの”インテリ”が中国の文化革命等、遠いエキゾチックな国に起きている事にユートピア風な理想主義的な夢を抱いていた。そうした人たちは、人間に間違った理想主義的な夢をみて、世の中の問題を独裁者や資本主義者のせいにしていた。この時期に、『殺人者は私の中にいる』、『独裁者、救世主、戦争と平和の亡命者、人間がこの世に生きている限り存在し続けている』、『殺人者も天使たちも私』と歌えるのは素晴らしい事だ。協会が持っている、いやす力があるような曲だ。レノンの『イマジン』よりも力強い感じがする。

このイギリスのスタジオで6枚のCDを録音していた。

このドキュメント映像の後半に写っているスタジオで、1986年から2000年の間に、僕は6枚のCDのレコーディングに参加している。4つは自分のソロCDとして録音したもので、他には沢井一恵のCD『目と目』(1988年) という作曲とプロデュースで参加しものとブズーキ・プレイヤーとして一曲参加した『Voice of Celtic Myth』(2000年) というCDがある。4つのソロCDは『Nova Carmina』(1986年)、『Songs From A Eurasian Journey(ユーラシアン・ジャーニー)』(1997年)、『Earth Guitar』(2000年)、と『Devotion』(未発表)。
このスタジオで音楽レコーディングについての、ほとんどの重要な事を学んだと思っている。また作品としても、ここで始めたアイディアを発展させたものを多い。これを見ていると懐かしい。あの白いレコーディング・ルームやヘッドフォーンをよく使っていたな、と思い出す。このピーター・ガブリエルのアルバムのスタッフも当時出会っていた人たちだった。僕のCDではピーター・ハミル、ジェームス・ワレン(スタックリッジ)、マディ・プライヤー(スティーライ・スパン)、クライブ・ディーマー(ロバート・プラントのStrange Sensation、Portishead)、デイブ・マタックス(フェアポート・コンヴェンション、またはポール・マッカートニー、エルトン・ジョン、ジミー・ペイジ等のレコーディングのスタジオ・ミュージシャン)、ダニー・トンプソン(ペンタングル)、ガイ・エヴァンス(VDGG)、イーファ・ニーアル(アイルランド民謡の歌手)等多くの人たちが参加してくれる事が出来た。

このイギリスのスタジオに行く前までは、日本のスタジオで自分のしたい事をコミュー二ケーションするのに多くの苦労をした。一時間数万円をするスタジオに入っても、何をしようとしているかについての数時間のディスカッションになってしまい、方向性がどんどん変わって行ったり、うまくいかない事も多かった。

それでは、何故このイギリスのスタジオでやっていた事がそれまでと違って、早くスムースに行ったのだろうか?いくつかの原因を考えてみた。

1) 僕はイギリスでは良い意味で”外国人”(アウトサイダー)として、コミュニティーの外から現れた。前もって僕についての余計な予備知識もイメージも向こうにはなかった。小学生から高校性の時と同じAyuoでいられた。つまり、自分にとって自然に感じる状態でいられた。

日本の場合は、”クラシックをやっている家庭に育っていて、クラッシクを子供の頃から聴いていたに違いない”、等ほとんど嘘の情報が先に回っていて、人を混乱させていた。例えば、僕がスタジオの部屋の外に出ている間、『Ayuo君はこう言っているけど、その意味は本当はこうなんだよ』、というふうに話されている事も多くあったらしい。戻ってみると、話している事と違う事になっているのは、このような余計なイメージだった気がする。
こういう事はイギリスでなかった。
先に、その人に対する余計なイメージがなく、レコード会社の契約と制作費は持っていて、作りたい音楽があって、それが何かが分かれば、こういう問題がなくなっていく。

余計な予備知識で人を判断する事を英語ではprejudiceと言う。

2) 僕自身は英語の学校で小学校、中学校、と高校を行っていて、日本の学校に行った経験がない。英語の方が、自分の伝えたい事がスムースに伝わっていた。それは言葉の事だけではない。

日本での”腹”から話す事や、先輩ー後輩の感覚も分からなければ、日本人のコミュー二ケーションする時の”空気”というのも中々読めなかった。人は言っている言葉そのものとは違う意味を指している場合もあるが、このような事は伝わらなかった。

日本で学校行っていないというのは、日本人に見られるが分かっていると勝手に思われている事が実は全く理解していなかったりする。何年経とうと、日本の文化を育った文化から翻訳していて、翻訳のスピードが早くなるが、同じように解釈出来る事はない。

多くの日本人は文化と人種の違いが分かっていない。日本人種の人はかならず、どんな状況でも自然に日本文化を持っているいると勝手に判断している。文化、言語やコミュー二ケーションの仕方とは育った社会から学ぶもので、人種とは別のものだと未だに見えていない。
———-
最後に、仕事をする相手としてイギリスで出会った人達とうまく出来たのだと思う。
エンジニアのデビッド.ロードとの相性もよかった。

日本では、その後では、エンジニアとしては鎌田 岳彦さん、前田 基彦さんとの仕事がうまくいっていた。
エンジニアとのコミュー二ケーションは大事だ。
録音した音に反映され、それがうまくいっているかどうか聴いていて分かる。

このドキュメントと同じ時期の音楽ヴィデオ
Peter Gabriel – I have the touch

Ayuoと母の明本歌子の写真

2014年の12月のフェイスブックに書いた記事より
ayuo-and-utako-early-70s-and-2014
Ayuoと母の明本歌子。
1971年と現在の写真。来週の12月25日の木曜日に一緒にライブをやります。
このコンサートの予約はだんだんと一杯になって来ています。
ご興味のある方は早めに予約をお願いします。

情報はこちらのfacebookのイベント・ページにあります。
https://www.facebook.com/events/550288945102869/

来年の1月26日の月曜日にこのシリーズの3回目をやります。

1月はAyuo とNashaalと共に近藤達郎(キーボード)、立岩潤三(パーカッション、ドラム・セット)が出演するロックよりのパフォーマンスになる予定です。
近藤達郎さんは30年前の1985年にAyuoとライブをやったり『メモリー・シアター』というアルバムに参加しています。
1月には武満徹の作曲した映画音楽『他人の顔』(勅使川原宏監督)からのワルツや中東モードのロック『He Needs Something To Believe In』やTzadikレーベルの『AOI』に収録されている『A Stranger』等が演奏されます。
是非、この時もご期待ください!

 

 Utako Akemoto: In good old days in New york,we spent lots of time going to rock concert, Coming back from a particular good one, we couldn’t help imitating what we just saw.

ピンク・フロイドがピンク・フロイドの為に作ったレクイエム

http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/5422

タワーレコードのフリー・マガジン、Intoxicateのために書いた記事です。ピンク・フロイドの最後のアルバムについて書いています。このアルバムは5.1で聴くのがお勧めです。ピンク・フロイドはライヴでもサラウンド・サウンドを70年代からも使っていた。最も効果的に使えるグループの一つです。5,1のシステムがなければ、せめてハイレゾで聴いてください。音が全然違います。