2014年のfacebook の文章より

2014年9月25日の夜に来て頂いた方々ありがとうございました!
新作『OUTSIDE SOCIETY』の初めての演奏でした。
初めての演奏の為、まだ細かい部分がこなれていない面もあったかと思いますが、曲から伝えたい心からのメッセージはなんとか伝える事が出来たかと思っていますが、いかがだったでしょうか?
今後それらの曲を演奏していく内にさらにまとまっていくと思います。
コメントがありましたら、よろしくお願いします。
Ayuo

Comments
Yoshihide Nakano
Yoshihide Nakano 素晴らしい演奏でした。
予め予備知識が必要な音楽であるとやや緊張しましたが、期待を裏切らない素晴らしい歌声と朗読と演奏でした。
劇の途中、青いバイオリンの愉快?な演奏がありユニークさが増したと思います。See More

 

Nashaal Naho Baba Barbara
Nashaal Naho Baba Barbara すばらしかったです!!!深いテーマで、含蓄があり、でもちょっと面白いところもあって(歌子さんが吹き出していらっしゃいましたが)、考えさせられました。大きなテーマの音楽劇、おつかれさまでございました!!

2014年9月25日の夜、僕の新しい作品『OUTSIDE SOCIETY』の初めての演奏があります

2014年のfacebook の文章より

2014年9月25日の夜、僕の新しい作品『OUTSIDE SOCIETY』の初めての演奏があります。音楽と語りで演奏される音楽劇です。

下記は今夜のパフォーマンスで朗読されるアンジェラ・カーターの言葉より。
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彼の名はタローだ、とわかった。初めて彼を好きになった頃、
私は彼をバラバラに解体してみたかった。
私は今まで一度もここまで謎めいたヨソ者になったことはな
い。私は不死鳥みたいな存在、美しい神獣になる。私は珍しい
宝石。彼は私を見つけ、私は、自分で思うに、例えようもなく
エキゾティックな存在だった。でも、私はよく、自分が女の役
を演じているだけだと感じていた。
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自分で望んだ状況が災いだったこと、座礁だったことに気付
いて、私は驚いた。彼の顔は廃墟みたいに見えた。それは私
が世界で一番よく知っている景色、初めて見た時から知らな
いとは思えなかった顔なのに。それは、なんとなく、私が考
える自分の顔というものを映し出しているように思えた。長
いこと知っていて、よく覚えている顔、いつも心の中にこみ
上げてはとどまる幻が、今初めて見える形をとって表れたよ
うな、そんな顔に見えたのだ。
だから、彼がほんとうはどう見える人だったか私は知らない
し、実際、これからも絶対わからない、と思う。なぜって、
彼は空想の形をとって創られた、ただのオブジェだったのだ
から。
———————-
それから間もなく、私たちは別れた。
すると、この街が消えてしまった。。ほとんど同時に、ここは
謎めいた怖い場所でもなくなった。
世の中で一番むずかしいパフォーマンスは、自然にふるまう
こと、ではないかしら? それ以外はみんなヤラセだ。
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http://lastwaltz.info/2014/09/post-12771/

開場18:30 開演19:00
全席自由 ご予約/当日とも ¥3,000 (税込み ドリンク別)

From The Guardian article:
“Learning a foreign language can increase the size of your brain. ”
“When presented with English words containing either of these sounds (‘l’ and’ r’), brain imaging studies show that only a single region of a Japanese speaker’s brain is activated, whereas in English speakers, two different areas of activation show up, one for each unique sound.
For Japanese speakers, learning to hear and produce the differences between the two phonemes in English requires a rewiring of certain elements of the brain’s circuitry. ”
“We know that people who speak more than one language fluently have better memories and are more cognitively creative and mentally flexible than monolinguals. Canadian studies suggest that Alzheimer’s disease and the onset of dementia are diagnosed later for bilinguals than for monolinguals, meaning that knowing a second language can help us to stay cognitively healthy well into our later years.”

https://www.theguardian.com/education/2014/sep/04/what-happens-to-the-brain-language-learning?CMP=fb_gu

A ONE-MAN SOCIETYの日本語訳

A ONE-MAN SOCIETY
日本語訳:きむら みか
(2014年9月25日に初めて演奏される曲の歌詞の抜粋を下記にコピーします。
ドナルド・リチーの語っていた言葉に基づくAyuoの歌の曲。)
From “Outside Society”
A ONE-MAN SOCIETY
一人だけの社会
私は自由になった。
構成員がたった一人の社会。
永遠に、周りの誰とも異なる
一人。
自由と一緒に生きるのは難しい。
他人との妥協が好きな世間、
でも、他人のタイプがバラバラすぎる。
そもそも、「国家アイデンティティ」というのが、ほん
とうに在るのか、今や疑わしいもんだ。
この宇宙では、それは大真面目な妄想。

FOREIGNERS ARE CURABLE ROMANTICSの日本語訳

2014年の9月に初めて演奏される曲の歌詞の抜粋を下記にコピーします。
ドナルド・リチーの語っていた言葉に基づくAyuoの歌の曲。
From “Outside Society”
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FOREIGNERS ARE CURABLE ROMANTICS
外国人は、
治せる程度にロマンティック。
子供の頃から抱きつづける幻想、
どこかに別の場所がある、と。
魔法のような国、黄金の時代が、
どこか、途方もなく遠い彼方にあるのだ、と。
ただ、彼自身のヘンなところは、
いつもガイジンをとっておくこと。
どんな出逢いにも自分を切り離す。
これが何か意味あることだと自分で気づいたその時に、
彼の病は癒されるかも。
————————————
日本語訳:きむら みか

新作『OUTSIDE SOCIETY』の演奏がいよいよ - 2014年の9月にfacebookに書かれた文章より

2014年の9月にfacebookに書かれた文章より

新作『OUTSIDE SOCIETY』の演奏がいよいよ2014年の9月25日になりました。
開演は19:00からですが、前奏と演奏の前にトークを入れる予定になりました。仕事で遅くなる方にも見れるように実際の演奏は19:30過ぎからになると思います。

今年の春に作曲した『OUTSIDE SOCIETY』という朗読と歌、尺八、ウクレレとキーボードで演奏される音楽劇の作品です。日本に60年間滞在していて、昨年亡くなったジャーナリスト, ドナルド・リッチーの日記と1970年代に日本に滞在したイギリスの作家アンジェラ・カーターの短編『肉体と鏡』を題材に作った75分から90分位の朗読と音楽を中心とした音楽劇の台本を作り,日記の言葉を歌う詞に書き変えて、作曲しました。
ドナルド・リチーは客観的なオブザーバーとして日本の社会を外から見ていた人でした。

「自分の文化圏の外に出たことのない者は、気付かぬまま、
そこにずっと縛られている。その人に自分の文化について訊くのは、水の中の魚に水が何かと訊くようなもの。何も答えられまい。—ドナルド・リチー」

そのような生き方や考え方こそが今の人々やこれからの人々に伝わって欲しいと願っている。
今、日本でも世界中でも政治的な変動が起きている中、客観的に物事を見て生きていく事は大切な事だ。
http://lastwaltz.info/2014/09/post-12771/

開場18:30 開演19:00
全席自由 ご予約/当日とも ¥3,000 (税込み ドリンク別)

明日初めて演奏される曲の歌詞の抜粋をfacebookの他のページにコピーします。

http://lastwaltz.info/2014/09/post-12771/

ドナルド・リチーさんと1949年に初めて出会った秋山邦晴さんの文章から

2014年の9月25日に、ドナルド・リチーのジャーナルに基づく僕の作曲した『Outside Society』という作品を渋谷のLast Waltzで演奏する。ドナルド・リチーは日本に1947年の冬に来てから、米軍の新聞Stars and Stripes にジャーナリストとして仕事を初め、後にはJapna Timesで書いていた。日本の映画や文化に興味を持つようになり、黒沢明、小津安二郎、溝口健二、そして60年代では篠田正浩、勅使河原宏の映画の情報をアメリカやヨーロッパに紹介し続けた。日本の音楽や文学についても 多くの記事を書き続けていた。しかし、彼のジャーナルやエッセイを初めて読んだ時、彼と共感する事が多いと気がついて、この作品『Outside Society』が生まれた。

ここでは、ドナルド・リチーさんと1949年に初めて出会った秋山邦晴さんの文章から抜粋したものを下記に紹介する。
ご興味のある方は是非見に来てください。
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ドナルド・リチー 人と仕事 by 秋山邦晴 (1989年 ー 草月シネマティーク「ドナルド・リチー氏の映像個展」パンフレットより)からの抜粋。
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リチーさんと初めて出会ったのは、1949年だったと思うが、その後二度目の来日以後は、いろいろな面で絶えずにお世話になった。
たとえば僕が関係していた音楽雑誌のために、リチーさんに作曲家伊福部昭訪問の原稿をおねがいして、いっしょに伊福部家を訪れたときのことは、いまでも鮮明におぼえている。それにレコード雑誌『プレイバック』に毎号新譜レコードの批評をおねがいしたりした。。。

これは戦後秘話とでもいうことになるが、伊福部昭、早坂文雄らの作曲家たちは、リチーさんの入手した現代音楽のレコードを聴かせてもらうグループの集まりを、毎月のようにやっていた。それは彼らの作曲家にとって、どんなに新鮮な刺激となり、創作の糧となったことだろう。

彼は学生時代にヒンデミットとストラヴィンスキー門下の先生に師事して、作曲を本格的に学んだ一時期があった。そういえば、リチーさんのピアノによる即興のすばらしさは抜群のものである。昔、作曲家黛敏郎の家でパーティーがあったとき、リチーさんはみんなの切望によって、ピアノを弾くことになった。はじめ、ひとつの古典的なテーマを演奏したとおもったら、つぎつぎに、いろんな作曲家のスタイルでそれが変奏されていくのだった。ラヴェルのスタイルのつぎには伊福部昭、ついでストラヴィンスキー、バーンスタイン、etc…と繰り出されていくその即興は、どれもがその作曲家の個性的なスタイルをはっきりとつかんだ見事な演奏で、みんなが唖然とするほどすばらしいものだった

リチーさんは何本も映画をつくっていた。Small Town Sunday (1941) 、そして二度目の来日以来、『青山怪談』(1957), 『し』(1958), 『秋絵』(1958)、『犠牲』(1959)、『熱海ブルース』(1962) 、『戦争ごっこ』(1962)、『ふたり』(1963) 、)、『ライフ』(1965) 、『黒沢明』(1975)…と精力的に、たいへん個性的な映画作品をつぎつぎと制作していった。
リチーさんの映画には、いつも死と詩、肉体と形式上学と精神の柔軟な運動、寓話的、心理的・哲学的な独特の世界観と美学が浮かびあがるように、僕には思える。

https://www.facebook.com/events/267587896785496/

From Ian Buruma’s “The Missionary and the Libertine”

From Ian Buruma’s “The Missionary and the Libertine”- A book of essays. The book is dedicated to Donald Richie.
From V.S. Naipaul’s India (1991):
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Democracy is always a messy process. Many people in India fear this mess. The novelist, V.S.Naipaul fears it too. He is an orderly man. But he does not make a fetish of order. Disorder is an inescapable consequence of India’s awakening. This may be another reason why so many “progressive” Third World intellectuals see Naipaul as a reactionary figure; for it is they, the admirers of Mao and Kim Il Sung, who make a fetish of order, and it is Naipaul who has the deeper understanding of the social forces that progressives claim to despise—perhaps because they are themselves still in the grip of those forces.

The fetish of order is something many progressives, in East and West (or, if you prefer, North and South), have in common with many conservatives. Mao Tse-Tung of China was much admired by conservative leaders such as Henry Kissinger, Edward Heath and Georges Pompidou. They were impressed by the discipline Mao imposed. Many saw a unified society of busy bees, all expressing great confidence in their leaders, all working in serried ranks toward a glorious collective future. Some even saw the regimentation of China as a mark of superior civilization, so unlike our own disorderly world. Left-wing Indian intellectuals admired China so much that they developed an inferiority complex about messy, chaotic India.
What all these admirers chose (and, alas, often still choose) to overlook was that China’s order was the order of a slave state. It is said that Mao, however much blood still sticks to his waxy hands, restored pride to the Chinese people. If so, it was only to the “People”, and not to people that he gave this pride. The price for Mao’s proud banners was the virtually complete destruction of Naipaul’s universal civilization, which did exist in China: the individual, responsibility, choice, the life of the intellect and so on. In this respect, despite all the subcontinent’s problems, China should take a leaf from India’s book.

What makes Naipaul one of the world’s most civilized writers is his refusal to be engaged by the “People”, and his insistence on listening to people, individuals, with their own language and their own stories. To this extent he is right when he claims to have no view; he is impatient with all abstractions. He is interested in how individual people see themselves and the world in which they live. He has recorded their histories, their dreams, their stories, their words.
As we know, the first thing that leaders or worshipers of the “People” do is to rob people of their words, by enforcing a language of wood. Naipaul’s characters, most of whom talk at considerable length, never speak a language of wood. In his interviews, Naipaul insists on details: he wants to know how things smelled, felt, sounded, looked—especially looked. And where it concerns ideas, he wants to be told how they were arrived at: not just what people think, but how they think. This is also the method of his own writing.

OKIの演奏とハワイやタヒチの音楽

2014年の2月に音楽評論家の北中正和さんがコーディネーターをしているJASRAC講座ワールド・ミュージックで初めてOKIというアイヌの弦楽器トンコリを弾くミュージシャンの演奏を聴いた。トンコリは雅楽で使われる和琴と少し似ている。和琴とは後に中国から輸入された
13弦箏や7弦琴と区別する為に名付けた古代の5弦か6弦の撥弦楽器。弾き方もトンコリと少し似ている。一つのチューニングにあわせる。実は和琴の場合はオープン・チューニング・ギターのオープンGチューニングと似ている。弥生時代の遺跡から和琴はたくさん発見されているが、宗教的な用途に使われていたと見られている。こうした使い方は世界中にも見られていて、古代ではアイルランドでのハープでもそうだった。OKIはトンコリを曲によってチューニングを変えていた。ギターと違ってフレットがないので、チューニングによって、その曲のカラーが作られる。
OKIの演奏と共にMAREWREWという女性コーラス・グループがアイヌの伝統歌を歌った。ヨーロッパ音楽のカノンのように、一人が初めて、そのモチーフを繰り返すながら重なっていく作風の曲が中心だった。台湾の先住民、高砂族の音楽と共通点がかなり見られる。
実はこのコンサートを見る、少し前にダニエル・ホーというハワイのウクレレ奏者と出会い、ハワイの古来から残る音楽と高砂族の音楽の共通点について僕たちは語った事があった。近年の遺伝子学、老古楽と人類学の研究では、ホモ・サピアン(現在の人類)は全てアフリカで生まれ、段階的にアフリカの外に向かっていった。初めて出発したのはアフリカを出てユーラシア大陸を渡り、パパ・ニューギニアからオーストラリアに到着した。現在のオーストラリアの先住民から彼らの子孫と見られている。その次には旧モンゴロイドと言われている人種が台湾に到着して、そこから北と南に向かったと見られている。南太平洋のニュージーランドからぐるりとまわり、現在のタヒチやハワイに到着したポリネシア人の先祖だ。もちろん、台湾から南に出発していて、その北には古来の琉球諸島と縄文化と共通点があるため、これが2回目に太平洋に移動した人種だと見られる。日本の歴史の教科書で、日本の南方系のルーツと書かれている要素が、この事を語っている。弥生人は実は新モンゴロイドの人種で、そのまた後に来て、中国や韓国とつながっている。これがアイヌの伝統歌と台湾の高砂族の伝統歌が似ている要素を説明出来るもので、ハワイやタヒチの音楽とも、その共通点が見える要素の歴史的な説明ではないかと、僕には見える。ハワイのウクレレ奏者ダニエル・ホーはハワイの音楽と高砂族の伝統歌の共通点を聞かせるCDを台湾で昨年録音したばかりだった。それは彼が現在のハワイアン・ミュージックに編曲した高砂族の伝統歌のCDだった。いつかOKI,の音楽、台湾の高砂族の音楽、そして、太平洋中のポリネシアの音楽を並べて聴いてみるプログラムがあったら面白いと思う。

2014年の2月から4月に僕は2014年の9月25日に、渋谷のlast Waltzで初演がされる『OUTSIDE SOCIETY』という朗読と歌、尺八、ウクレレとキーボードで演奏される音楽劇の作品を作曲していた。この曲のウクレレのパートは、今年の2月に聴いたOKIの演奏に影響を受けている。ウクレレはヨーロッパからハワイに入った楽器だが、ギターのオープン・チューニングのような使い方をするとトンコリや和琴との共通点が見えて来て、旧モンゴロイドの歴史の旅が自分の心の中で見えて来る。これは今までになかったような使い方だと自分でも思ってしまう。
お時間があったら、是非聴きに来てください。

ボーカル、ウクレレ、電子ヴァオリン:Ayuo
尺八:クリストファー遙盟
キーボード:近藤達郎
声、朗読:きむらみか

渋谷 last Waltz
開場18:30 開演19:00
全席自由 ご予約/当日とも ¥3,000 (税込み ドリンク別)

http://lastwaltz.info/2014/09/post-12771/

12世紀のイギリスの本から宇宙を説明する為に書かれた絵

これは12世紀のイギリスの本からの絵。宇宙を修道士達に説明する為に書かれていた本。これはヨーロッパの神話で宇宙を説明しているところから、12個の星座のチャート。当時、これは科学の本として研究されていた。この本は全部で30ページで、本のスキャンしたものがPDFファイルとしてダウンロード出来ます。中世ヨーロッパの図形がたくさん入っている。
イギリスでは当時、このように宇宙を絵やチャートで描いた本が、他の国よりも多く書かれていた。
これは現在では占星術のチャートとして使われている。

次のところからダウンロード出来て、印刷出来ます。

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Kitty Briton to Medieval Music

An interesting medieval Wheel of the Zodiac. From a cosmography, a scientific textbook for monks, the wheel reads counterclockwise with our modern year beginning at January on the upper left side. Contributing authors: St. Abbo of Fleury, St. Isidore of Seville, and the Venerable Bede.