『PAを使うのを止めよう』とスティーブン・ソンドハイムは言った

『PAを使うのを止めよう』とスティーブン・ソンドハイムはニューヨークの783人の劇場、BOOTH THEATREを見て言った。室内オーケストラをバックに、ソンドハイムのミュージカル『Sunday in the Park with George』を上演する劇場を、彼はその出演者や演出家と見に行っていた。時は1984年。しかし、メイン役のジョージをやっていたMandy Patinkinもその恋人役のDotをやっていたBernadette Petersも、この劇場の音響はそれにはデッドすぎる(響かない)と答えた。二人共素晴らしい声と音量を持って歌える人たちだ。スティーブン・ソンドハイムは、以前にも紹介記事を書いた、作曲家・作詞家で日本では、おそらく『ウエストサイド・ストーリー』の作詞家として未だに一番知られているだろう。
マイクロフォーンは1950年代後半からミュージカルでは普通に使われるようになった。第二次大戦の時からそれまでは、特殊の時にしかマイクロフォーンは使われなかった。ビング・クロズビー、フランク・シナトラ、ジョアン・ジルベルトの歌い方はマイクロフォーンがあっての歌い方だ。今世紀初めのジャズ・シンガー、アル・ジョルソンの歌い方は、大きな劇場でマイクなしで歌っている声だ。フレッド・アステアも、あれだけの素晴らしい歌とダンスをマイクのない大きな劇場でやっていた。
今では、しかし、50人や100人のところでも、すぐマイクとPAシステムが使われている。使われないのはクラシックと現代音楽の歌曲やオペラのみだろう。
スティーブン・ソンドハイムは、彼の本『Look I Made A Hat』の中で書いていた、昔のお客さんは、大きな劇場でもマイクロフォーンがなかったら、ちゃんと聴かないといけなかった。席の前の方に乗り出して、集中して聴いていた。今では、音が向こうの方からやってくるのが当たり前だとみんな思っている。マイクロフォーンの存在は、お客さんを怠け者にしてしまった。また、演奏者も、マイクやPAが自分の声だけではなく、自分の感情も増幅してくれると思うようになった。ビング・クロズビー、フランク・シナトラ、ジョアン・ジルベルトはそれぞれ独自の歌い方と個性も持つ人たちだが、マイクロフォーンが普通になると失われるものもかなりある。
最近、僕もPAを使わずにやっている。お客さんの顔を直接見ながら、その人に向かって歌やダンスの表現する方が、表現が直接に伝わる。音を音量で人を抑圧しても、つまらなく感じるようになっている。2000年代の半ばまでは、僕はパソコンで出来る新しいテクノロジーを追っていた。ニューヨークのTZADIKレーベルのCDの音源を家で自分PROTOOLSを使って録音するようになっていった。さらに、曲によっては自分でミックスをした。パソコンで何でも出来るような時代になっていった。こんな音があったらよいなあ…と思うような音を出せるソフトウエアは、誰かが発明していた。しかし、その内に飽きた。録音で、そのようなものを使わなくなると、再び新鮮になって行く。アコースティックで出来る状態にして、録音はそれをそのままの音を取る。ライブでは、PAを使わずに、ピアノがある小ホールやスペースが理想的になる。PAは、その音量で人を抑圧してしまうだけではなく、音を平均にしてしまう。その内、全部同じに聴こえてしまう。そして、良いシステムがあるほど、いろいろな事が出来た気になってしまう。PAを使わなければ、状況が無理にも変わってしまう。

僕はラッキーな事に、このソンドハイムのミュージカル『Sunday in the Park with George』を始まったばかりの1984年ニューヨークで見た。この時代で見た最も素晴らしいショーの一つとして、僕は記憶している。ちょうど、レコーディングでニューヨークに行っていた時、休みの日に見た。ソンドハイムは、ローリー・アンダーソンのVOCODERの使い方からも影響を受けて、それを生の声んでやったり、フィリップ・グラスのようなミニマルの影響も感じられた。しかし、このミュージカルの魅力は、とてもパーソナルで、見ている人を感動させる事にあるだろう。どんなテクニークや方法論もそれにかなうものはない。『ウエストサイド・ストーリー』の共作者で作曲家・指揮者のレナード・バーンスタインは、この作品を見て、 次のように書いていた。『Brilliant, deeply conceived, canny, magisterial and by far the most personal statement I’ve heard from you thus far. Bravo.”』僕は未だに、このような作品を理想としている。

スティーヴン・ソンドハイムの『Into The Woods』

こないだ、一週間前に、八王子から 橋本までの夜道をスティーヴン・ソンドハイムの『Into The Woods』というミュージカル作品を聴きながら歩いた。夜中の1時から3時ごろだった。元々山だった道を登り下った。よく、移動中にその時に練習してい る曲や録音を聴く事ががあるが、この作品は素晴らしい。この一週間ずうっと、こればっかり聴いてしまっている。
スティーヴン・ソンドハイムは20世紀後半にブロードウエイ・ミュージカルに革命を起こした男として知られている。(20世紀前半にブロードウエイ・ミュージカルに革命を起こした作曲家はコール・ポーター、ジェローム・カーンやジョージ・ガーシュイン)。
スティーヴン・ソンドハイムは『音楽は教えだ。そして、音楽や歌を書く事は最も神聖な勤めだ。』と語っている。
彼のデビュー作品は、20代前半の時に『ウエスト・サイド・ストーリー』をレナード・バーンスタインと共作する事だった。クレジット上では、ソンドハイム作詞・バーンスタイン作曲になっているが、実際は・バーンスタインも作詞をして、ソンドハイムもメロディーを書いたと言われている。契約上、50/50に する為に作詞・作曲に分けたのではないかとよく書かれている。『ウエスト・サイド・ストーリー』を今聴いても、そのアレンジやオーケストレーションはバー ンスタインのものかもしれないが、歌のリズムやメロディーにソンドハイムらしさが見えて来る。
ソンドハイムは素晴らしい作詞だ。英語の言葉一つ一つの選び方が見事だ。言葉の作るリズムや響き。それだけでも音楽的だが、その言葉にはダブル・ミーニン グも含んでいる。彼は本来作曲家で、『ウエスト・サイド・ストーリー』以後は作詞・作曲を両方担当するブロードウエイ・ミュージカルの作品をたくさん書い ている。
僕にとっては彼の80年代の作品が一番好きだ。『Into The Woods』はではシンデレラ、ジャックと豆の木、赤ずきん、ラプンツェル等の知られたおとぎ話とオリジナルのおとぎ話を含めて、おとぎ話は本来子供だけ ではなく、大人に知恵を与える作品だった事を思い出せる作品に作りたいというプランでソンドハイムは書いた。
この数年も、僕もちょうど似ている考えで、ユングの周りにいた神話やおとぎ話の分析をする数人の作家の本を研究していた。まるで、自分が理想としているような作品を聴いたような思いだった。

これは『Stay with me』の歌詞を僕が訳したもの

ラプンツェル:
私はもう子供ではありません。
世界を見たいのです。

母の魔女:
世の中がどんなところか分からないの?
誰かがおまえを、ちゃんと守ってあげないといけないのよ。
わたしと共にいなさい。

王子様が世の中にいるとおまえは言う
王子様はいるかもしれないが、狼や人間もいる
家にいて
私があなたの家

私のよりもおまえを愛せる人はいないのよ
私だけがおまえに必要なものは与えられるのよ
私と共にいて。

世の中は暗くて荒々しい
子供のままにいられる間は、子供でいて。
私と共に。
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ラプンツェルは塔の下で眺めていた王子様と一緒に逃げるが、別のおとぎ話(ジャックと豆の木)からやってきた巨人に踏みつぶされて殺されてしまう。それを見て魔女は、さらに歌う:
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世の中はどんなところかこれで知ったでしょう?
この世で傷つかないで生きられる人はいないのよ
私だけがおまえをそののまま愛していた

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(シンデレラは、12時にお城から逃げてきて歌う):

この王子さまは賢い
この王子さまは用意していた
お城の階段にタールがぬってあった
女が逃げないように用意してあった

どうしょうか?
決めなきゃ。
そのまま、つかまってしまうか?
それも、考えられるが。
彼はどう反応するだろう?
私の普段の姿を見て
踊っていた時の私と違うと言って
考えが変わらないだろうか?

だけど、もしも、私にまだ分からなかった『私』の存在があったらどうだろう。
私はまだ自分が分からないかもしれない
私は王子様が思っているような人にもなれるかもしれない。
さあ、どうしょう?
決めなきゃ
タールがどんどんくっついてくる

大きな判断だ
舞踊会に来るのは楽しかった
人を騙すのも楽しかった
それでは、ヒントだけを残して行こう
靴を残して、彼がどうするか見てみよう。

———————-

シンデレラの王子さま

どうして彼女は逃げた?
僕が彼女を虐待したか?
僕が彼女を侮辱したか?
彼女は僕のハートを持って逃げた
それを失ったらどうしょう?

僕は繊細だろう?
僕は頭良いだろう?
僕にはマナーがあるだろう?
僕には思いやりがあるだろう?
僕は熱情的だろう?
チャーミングだろう?
すごくやさしくて、すごくハンサムだろう?
財産もたっぷり持っているだろう?

ラプンツェルの王子さま:
君には女が欲しい全てがあるさ。

シンデレラの王子さま:
じゃ、あの女が頭おかしかったのだ。
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シンデレラの王子さまは、シンデレラを追っていくが、森の中で別の女の人に会って、すぐに手を出そうとする。

シンデレラの王子さま:
森の中では、何でも起こるかもしれない。
キスさせろよ。

パン屋の奥さん:
いけないよ!
あなたにはシンデレラがいるでしょう!

シンデレラの王子さま:
何が正しいかとか、何が間違っているか、
森の中では関係ない。
フィーリングだよ、フィーリング!
人生なんて嫌な事ばかりなんだからよ!
おまえは百姓なんだろう。
利益になりそうな時は、それを利用するんだよ。

(パン屋の奥さんとシンデレラの王子さまは森の中で過ごす。その後。)

シンデレラの王子さま:
じゃね。

パン屋の奥さん:
ええ?
また、会える?

シンデレラの王子さま:
あれは、森の中のたったのひと時
美しくて、悲しくて、輝いていた
私達のひと時
あのひと時を過ごせた事をありがたく思え!
そして、時は過ぎて行く。

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パン屋の奥さんがパン屋のところに帰ろうとすると、彼女も巨人に踏みつぶされてされて殺されてしまう。
魔女がそれを森のいるみんな伝えると、みんなそれぞれが人のせいにする歌を歌う。
『おまえのせいだ!(YourFault)』という曲を豆の木のジャック、シンデレラ、パン屋、あかずきちゃん等がみんな一緒にコーラスで歌う。
それぞれのキャラクターが、今まで起きた様々な悪い事を、みんな人のせいにしてしまう。
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魔女はそれを見て歌う:

嘘をついた
金を盗んだ
誓いを破った
王子さまをゲットした
牛をゲットした
どんな方法を使っても
願いをかなえて欲しかった

そして、誰かのせいに出来れば良いと思っている。
人のせいにするのを楽しんでいる。
私が悪者になってあげようか?
だったら、この赤ちゃんをちょうだい。

(赤ちゃんを抱きながら、赤ちゃんに歌う)
おまえはまだ純粋だ。
でも、ここにいれば、
大きくなって
みんなと同じになってしまう。
だから、
二人で飛び立ちましょう。
私とあなた
遠くに行きましょう。

私はみんなの嫌われ者。
私は魔女。
みんなは嘘つきと泥棒。
おまえも、きっとそうなってしまうよ、
おまえのお父さんがそうであるように。
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(『Into the Woods』の最後の二曲も美しい。)

シンデレラ:
人は去ってしまうかもしれない、
途中まで、共に歩んでいた人も。
人に騙されるかもしれない。
何が良いかは、自分で決めなさい。
一人で決めなさい。
でも、誰も一人だけじゃないの。

シンデレラとパン屋:
人は間違いを犯すかもしれない、
一人だと思って、
自分だけのことを考えて。
間違いを認めてあげて、
誰でも間違いをするから。

森のみんな:
みんな忘れているかもしれないけど、
みんなも一人ではないよ。
誰も一人だけではない。

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翻訳:Ayuo
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つい、次々と翻訳してしまったが、このような曲がならんでいる。
アメリカのアマゾンで、カスタマーが『この作品は子供に聴かせるものではない。ここでの”教え”は、人を信用するな、というもので、出てくるキャラクター は嘘つき、殺人者、泥棒、女を襲う狼だ』と文句のコメントが書いてあった。上期の僕の日本語は、ちょっとした時間で見ながら、つい書いてしまったもので、 この作品の良さが伝わるかわからない。しかし、僕は21世紀の今には、このような作品が必要だと思っている。

聴きながら、本当に感動した。

ところで、ディズニー映画はこの作品を映画化することを決定した。
監督は、『カリブの海賊』と同じで、出演には、ジョーニー・デップやメリル・ストリープ。
ビッグ・バジェットのメイジャー映画で、来年にはロードショーで見れそうだ。

https://www.youtube.com/watch?v=PpnAXAECVnU