尺八ソロの為の作品『太陽と月を飲み込む』A composition for the solo shakuhachi by Ayuo

尺八ソロの為の作品『太陽と月を飲み込む』
Ayuo – Drink Down the Moon and the Sun
A composition for the solo shakuhachi by Ayuo, performed by Christopher Yohmei Blasdel with Ayuo as the dancer。 (Full English translation is on the youtube link.)

この曲はスコットランド系英国の女流作家、アンジェラ・カーターの短編小説から、僕が個人的に受けたイメージを元に作り上げています。
アンジェラ・カーターは日本に70年代に住んでいた。日本人の恋人を持っていた。彼との間に起きる文化的なぶつかりとそれによって気づく自分の姿がテーマとなっている。この曲は終わりに出て来る8小説のアイルランド民謡以外は全くオリジナルな作品です。このアイルランド民謡はアンジェラ・カーターが特に好きな曲で、この曲についてアンジェラはエッセイを書いている。
このエピソードでは、日本人の恋人を追って日本にアンジェラは来るが、その恋人”タロー”との間には大きな見えない文化的な壁があると気が付く。日本の伝統的な響きを聴いている時に、彼女の心の中に昔彼女が聴いていて好きだったアイルランド民謡のメロディーが浮かんでくる。
精神的な破局を迎えそうになるが、それによって自分のことがより分かってくる。この経験によって実際のアンジェラは英国文学史に永遠に残る名作を書く作家となった。

この曲を書いた理由には、外国人あるいは帰国子女として日本に住むというのは、どういう気持ちになるかを語りたかったからです。(僕もニューヨーク育ちです。)

———–
小説家、アンジェラ・カーターがいくらかの「脱出」資金を手
にした時、行き先に選んだのは日本だった。ユダヤ教/キリス
ト教文化圏ではないところで、しばらく暮らしてみたかったか
らだ。

(ドナルド・リチーの本”The Honorable Visitors”よりのアンジェラ・カーターについての紹介)
——————
(アンジェラ・カーターの短編集『花火』よりの抜粋 ー きむらみか翻訳)

彼の名はタローだ、とわかった。初めて彼を好きになった頃、
私は彼をバラバラに解体してみたかった。子供が、その中の不
思議なしくみを知りたくて、ゼンマイ仕掛けのおもちゃを分解
するように。
解剖作業は、すっかり私一人で牛耳ってしまったので、彼の中
には、過去の経験から自分でもとっくに知っていたものしか発
見できなかった。仮に何か新しいものを見つけても、私は確実
に無視した。私はこの作業にすっかり夢中で、それが彼を傷つ
けないかと考えることもなかった。

こんなふうに愛する対象を創り上げ、正真正銘の恋人だ、と証
明書を出すために、私はまた、恋する私、というのが何なのか
という問題に取り組まなければならない。自分で自分を真近に
観て、恋の徴(しるし)を探す。手がかりを、細かく丁寧に。
ほら、みーつけたぁ! 憧れ、欲望、自己犠牲…。私はこういう
症状すべてに一々引っかかってしまった。

で、私はアジアにいたんじゃなかったの? アジア! でも、住
んでいるのにここは遠い。私と世界の間にはガラスの壁がある
みたい。ただ、そのガラスの向こう側には、自分の姿が完璧に
見とおせる。
そちら側で私は、歩き回ったり、ゴハンを食べたり、会話した
り、恋をしたり、ただ無頓着にふるまったりしていた。

自分で望んだ状況が災いだったこと、座礁だったことに気付
いて、私は驚いた。彼の顔は廃墟みたいに見えた。それは私
が世界で一番よく知っている景色、初めて見た時から知らな
いとは思えなかった顔なのに。それは、なんとなく、私が考
える自分の顔というものを映し出しているように思えた。長
いこと知っていて、よく覚えている顔、いつも心の中にこみ
上げてはとどまる幻が、今初めて見える形をとって表れたよ
うな、そんな顔に見えたのだ。
だから、彼がほんとうはどう見える人だったか私は知らない
し、実際、これからも絶対わからない、と思う。なぜって、
彼は空想の形をとって創られた、ただのオブジェだったのだ
から。

Rethinking Civilization

文明は本当に良いものだったのか?
考え直す時期に来たのではないか、ジョン・グリーンは語る?

アメリカのインディアナ州で作られているcrash course channelの歴史の映像。
絵、アニメーションや映画からのクリップも使い、英語だけど見やすい。

4000年の文明(メソポタミア、エジプト、中国、インド)というものは実際どう作られたものだったのか?
今まで西洋では文明を誇り高いものとして見て、文明人が野蛮人に教育しなければいけないというふうににも見てきたが、そのような考え方をこのヴィデオでチャレンジする。
少しアナーキズム(無政府主義)の事も語っていると本人達も、その説明で書いている。
Civilization (文明)、War (戦争)、Disease(病気)等のテーマもあれば、世界史のチンギス·カンとモンゴルについての映像もある。どれも歴史好きな人には楽しめる。

文明国家は一つの権力が大勢の人々を奴隷にして作ったものだった。文明国家が作られるとそこから逃げて行く人たちがその周りに新しいコミュニティーを作っていたのが歴史的に見れる。Civilization (文明)、では中国が文明国家を作ると、その周り逃げた人々が作った文化が今残っていると、語る。日本の弥生の人々も元々は戦国時代だった中国から逃げて来た人々というふうにDNAの研究で最近発表されている。
大きな文明国家が作られた目的が、良い生活と文明をみんなに与えるという人類愛的な発想からきたものではなく、むしろ利己的な欲望から来ていたと語る。

“The greatest happiness is to vanquish your enemies, to chase them before you, to rob them of their wealth, to see those dear to them bathed in tears, to clasp to your bosom their wives and daughters.”- Genghis Khan

『人生で最も幸せに感じる時は、敵を打ち負かし、目の前に追い回して、彼の財産を全てうばい、涙に包まれた彼らの家族を見ながら、彼らの妻や娘達に暴行する時だ。』ー チンギス·カン。
現在少なくてもチンギス・カンの子孫は1600万人いると科学者は発表している。

http://news.nationalgeographic.com/news/2003/02/0214_030214_genghis.html

(An international group of geneticists studying Y-chromosome data have found that nearly 8 percent of the men living in the region of the former Mongol empire carry y-chromosomes that are nearly identical. That translates to 0.5 percent of the male population in the world, or roughly 16 million descendants living today. )

古代文明の侵略の話を読むと、野生のチンパンジーや猿の群れが他の猿の群れを侵略する時の話しと似ている気がする。一つの猿の群れが他の群れを襲うと、そこの男達と子供達は殺され、女たちは新しい男達のモノとなり、その子孫を生むことが要求される。

戦争の目的は、今では大企業が資源を得る事だとすると、昔は食料と女を得る事だった。古代の中国で、帝王が5000人から6000人の正式の妻を持つことが多かったのは、戦争と国家を成立する一つの目的が多くの女を集めて、自分の遺伝子を持つ子孫をたくさん作ることだった。それによって、一つの文明が広まった。
一つの”民族”、一つの国家は侵略と暴行によって作られた。文明的な生活は、そこから発達したものだった。
The Mongols

Re-thinking Civilization: 文明を考え直す

文明は本当に良いものだったのか?

文明は本当に良いものだったのか?
考え直す時期に来たのではないか、ジョン・グリーンは語る?

アメリカのインディアナ州で作られているcrash course channelの歴史の映像。
絵、アニメーションや映画からのクリップも使い、英語だけど見やすい。

4000年の文明(メソポタミア、エジプト、中国、インド)というものは実際どう作られたものだったのか?
今まで西洋では文明を誇り高いものとして見て、文明人が野蛮人に教育しなければいけないというふうににも見てきたが、そのような考え方をこのヴィデオでチャレンジする。
少しアナーキズム(無政府主義)の事も語っていると本人達も、その説明で書いている。
Civilization (文明)、War (戦争)、Disease(病気)等のテーマもあれば、世界史のチンギス·カンとモンゴルについての映像もある。どれも歴史好きな人には楽しめる。

文明国家は一つの権力が大勢の人々を奴隷にして作ったものだった。文明国家が作られるとそこから逃げて行く人たちがその周りに新しいコミュニティーを作っていたのが歴史的に見れる。Civilization (文明)、では中国が文明国家を作ると、その周り逃げた人々が作った文化が今残っていると、語る。日本の弥生の人々も元々は戦国時代だった中国から逃げて来た人々というふうにDNAの研究で最近発表されている。
大きな文明国家が作られた目的が、良い生活と文明をみんなに与えるという人類愛的な発想からきたものではなく、むしろ利己的な欲望から来ていたと語る。

“The greatest happiness is to vanquish your enemies, to chase them before you, to rob them of their wealth, to see those dear to them bathed in tears, to clasp to your bosom their wives and daughters.”- Genghis Khan

『人生で最も幸せに感じる時は、敵を打ち負かし、目の前に追い回して、彼の財産を全てうばい、涙に包まれた彼らの家族を見ながら、彼らの妻や娘達に暴行する時だ。』ー チンギス·カン。
現在少なくてもチンギス・カンの子孫は1600万人いると科学者は発表している。

http://news.nationalgeographic.com/news/2003/02/0214_030214_genghis.html

(An international group of geneticists studying Y-chromosome data have found that nearly 8 percent of the men living in the region of the former Mongol empire carry y-chromosomes that are nearly identical. That translates to 0.5 percent of the male population in the world, or roughly 16 million descendants living today. )

古代文明の侵略の話を読むと、チンパンジーや猿の群れが他の猿の群れを侵略する時の話しと似ている気がする。一つの猿の群れが他の群れを襲うと、そこの男達と子供達は殺され、女たちは新しい男達のモノとなり、その子孫を生むことが要求される。

戦争の目的は、今では大企業が資源を得る事だとすると、昔は食料と女を得る事だった。古代の中国で、帝王が5000人から6000人の正式の妻を持つことが多かったのは、戦争と国家を成立する一つの目的が多くの女を集めて、自分の遺伝子を持つ子孫をたくさん作ることだった。それによって、一つの文明が広まった。
一つの”民族”、一つの国家は侵略と暴行によって作られた。文明的な生活は、そこから発達したものだった。
The Mongols

Re-thinking Civilization: 文明を考え直す

2014年の10月の誕生日の日に頂いたメッセージの中の質問とその答え

2014年の10月のフェイスブックに書いた記事より

誕生日の日にたくさんの人からメールやお祝いの言葉を書いて頂きました。
僕の生徒だった方から質問がいくつか入っているメールを頂き、その答えをみなさんにも、お見せしようと思います。

いくつかにに分けて答えを書こうと思います。

これがひとつです。
———
アンジー:『Ayuoさんのブログを読んでいて思ったのですが、

Ayuoさんは『こういう自分になりたい』というような理想の自分を思いえがくことはあるのですか?

人は、『こういう自分になりたい、でもなかなかそうなれない』という思いを抱えて生きていることが多いと思いますが、
Ayuoさんは、あまりそういう感覚がないような印象があります。

Ayuoさんのライブにたくさん行っていた頃の私は、『もっとこういう自分になりたい』という感覚が強くて、でもなりたい自分になかなか近づけなくて、』
———–

僕にも、こういうような事をやって行けたら、というはっきりとしたある人のイメージが中学生の頃にはありました。
それは1973年から1975年にライブをよく見ていた当時ジェネシスのメンバーだったピーター・ガブリエルがその頃やっていた事です。
1975年に見た『The Lamb Lies Down On Broadway』というのが一番すごく、これは見る人間にまるで宗教的な変革を与えてしまうほどの強い作品でした。

『The Lamb Lies Down On Broadway』はピーター・ガブリエルがカール・ユングの『思い出、夢、思想』と『チベット死者の書』を読んで、それを現代のニューヨークと異次元の夢の世界を舞台にして書いたストーりーに基づく1時間半のショーだった。
これはエンターテイメントではなく、見る人間を内面的な世界に引っ張っていくような体験でした。

古代のシャーマンのパフォーマンスや中世ヨーロッパの神秘激、日本の能、中東のスフィーの踊りと音楽、フラ・ダンスの元になる神様に捧ぐ踊りもこの為に作られていたと思っているのです。宗教音楽という伴奏的なものではなく、舞台そのものが一つの体験となり、それを経験した者には世界観の変革が起きてしまう。
これは簡単なことではないと思っています。

ピーター・ガブリエルは当時はあまり曲を書いてはいなく、言葉を書いて、曲の前後に物語を語っていました。
そして、手話のような動きを使って、歌っている言葉を手や体で表現していました。

僕は中学生から高校性の頃、このような世界に影響を受けて、物語や詩を作って、そのような手話的な動きを使いながら朗読をしていました。

ピーター・ガブリエルが描いていたような不思議な世界観は中世ヨーロッパでは吟遊詩人達が作っていたもので、中東ではスフィーの詩人、ダンサーや音楽家が作っていたもようなもので、19世紀の音楽劇や交響詩ではワグナー、ベルリオーズ、リスト、20世紀の音楽ではドビュッシー、ベルグ、20世紀のダンスではニジンスキーやルドルフ・ラバンがこうした世界を作っているように思う。

これが本来の芸術の目的だと思っている。

それを作るには、たくさんの経験を必要とする。
それを目標として、自分をパフォーマーとして特訓している最中だと思う。

1980年代にイギリスに初めて行った時、実はほとんど人を知らなかったが、その2週間後にはピーター・ガブリエルと共同プロデューサーだったデビット・ロードと出会い、ピーター・ハミルに紹介されて、イギリスのトラディショナル(伝統的な)音楽で知られているスティーライ・スパン、インクレディブル・ストリング・バンドとフェアポート。コンベンションのメンバー達と録音する事になった。今でも、僕にとっては不思議な出会いの話しだ。『何が起きたのだろう?』と思うような事だった。そして、そこで他の人のプロデュース・アルバム(沢井一恵)を含めて1986年から2000年の間に5枚のアルバムを作る事が出来た。

しかし、これも一つの途中段階のものかも知れない。

2000年代では音楽劇として『葵上』、『井筒』、『マルグリット・デュラスの”青い目、黒い髪”の弦楽アンサンブル・ヴァージョン』、等から始め、こないだはドナルド・リチーの日記から『OUTSIDE SOCIETY』という作品を作った。
今では、カールユングの夢日記から新たな作品を考えている。

これはいろいろな道に入りながら、一つのところに向かおうとしているようなものだと思っています。

音楽家、あるいは英語作詞家として人から頼まれた仕事には、これはカウントされないのです。
それは人の世界を作るのを手伝う事であるから。
また、作品や楽器を教えるのもそうでしょう。
それは楽しく出来るからやっていられる事だと思います。

向かっているところにはまだ到着していなく、まだ、これからだと思っています。

イギリスの詩人バジル・バンティングの翻訳したペルシャのハーフェズの詩

Hafiz (Persian poetry) translated by Basil Bunting (Poem in English below)
—————————–
子供の時から、イランの伝統歌を聴いて来た。
そして、CD『ユーラシャン・ジャーニー』では、そうした曲をアイリッシュ・ブズーキにアレンジして収録した。
ペルシャの古典的な伝統歌はルーミ、ハーフェズ、等、スフィー思想という中東の神秘的な思想に影響を受けたものが多い。
神秘的な思想と言っても、今では科学的に聞こえたりする内容を歌っている。
数年前にイギリスの詩人バジル・バンティング(1900-1985)がイランの詩の素晴らしい英語の翻訳をしていると英国文学を研究している人から聴いた。
バジル・バンティングは英国政府の仕事の為にイランに長年滞在していた。
彼はハーフェズ、サアディー、ルーダキーの英訳以外にも、ペルシャの子供の為の猫の寓話の英訳を出している。
彼自身も詩人として、TS エリオットやエズラ・パウンドと並ぶ20世紀初頭の詩におけるモダニズムの代表的な詩人として知られている。
バンティングはPoetry, like music, is to be heard.’(詩は音楽と同じでまず耳で聴かなければいけない。)と語っている.
次のリンクに行くと、バンティングの自作自演が聴ける。
http://www.bloodaxebooks.com/titlepage.asp?isbn=1852248262
バンティングは北イングランドのスコットランドとの国境の町から来た人で、話し方もスコットランド人の話し方と近い。
独特のリズムのうねりが英語を話す時に聴こえる。
それが彼の詩のサウンドを音楽的にしている。

下記はバジル・バンティングの訳したハーフェズ。
声を出して英語の響きを感じてみてください。

Hafiz translated by Basil Bunting
——————–
O everlastingly self-deluded!
If there’s no love for you there’s nothing for it
but to go crazy. Anyway, don’t set up for
a paragon of self-restraint.
Love’s dizziness can’t invade a head
dizzy with alcohol?
You’re jaundiced, misery-hideous!
Anybody can read your symptoms.
Give respectability amid pride the go-by, Hafiz,
cadge yourself a drop of booze and get
crapulously drunk.
——————————-
Briggflatts: new edition with CD & DVD
the new edition includes his seminal essay on sound and meaning in poetry, ‘The Poet’s Point of View’ (1966),
http://www.bloodaxebooks.com/titlepage.asp?isbn=1852248262

Painting by Carl Jung. この絵はカール・ユングが描いた絵。

Nothing in you is hidden to things…The stars whisper your deepest mysteries to you, and the soft valleys of the earth rescue you in a motherly womb. – Carl Jung (from the Red Book)

あなたの内面に あるもので かくされているものは ありません。
星ぼしは あなたにとって、もっとも深いミステリーを あなたに ささやいている。
地球のやわらかな谷間は その母なる子宮で あなたを救っている。
ー カール・ユング

カール・ユングは、精神科医・心理学者。深層心理について研究し、分析心理学を創始した人として知られている。
カール・ユングはアクティブ・イマジネーション(能動的想像法)という無意識から立ち現れてくるさまざまなイメージに直接的に接触を試みる技法を使いながら、ストーリーを書き、詩を書き、そして絵を書いた。ユングの『赤の書』ではイラストは豊かな色彩でもって描かれ、文章・文字も中世の写本を髣髴とさせる装飾的なカリグラフィーで綴られている。カール・ユングは自分の事を科学者と見ていて、芸術家、あるいは神秘思想やオカルトに興味を持っている人として見られる事は非常に嫌がった。

最初はフロイトと同じように夢を見て、その分析から始まった。しかし、起きている時でも人は別の種類の夢を見ている。彼は起きている状態で意識に浮かび上がってきたイメージを一人のキャラクターとして扱い、別の人物のように話しかける事を始めた。こうして彼は自分の内面に女性が存在すると発見して、それを彼のアニマ(ラテン語で魂)と名付けた。彼の心理学に対する考えは、こうして実験を繰り返しながら作り上げていったと書いている。カール・ユングはフロイトが自分の思想を一つのドグマにしようとしている事に反感を覚え、彼はむしろ、そのプロセスの方を重要とした。だから、ユングのメソッドを本格的に使っている人は、同じツールを使っても、それぞれ違った答えを見つけているかもしれない。これがユングの方法の面白さ。それぞれの人がツールを使った、自分の考えを見つけられる。

イエスのロック・ヴォーカリスト、ジョン・アンダーソンはよくサウンドから言葉を唱えて、後で自分でも、その意味をさぐると言っていた。これも、アクティブ・イマジネーションを使っているタイプの歌の作り方。意味を伝えるために言葉を書くのではなく、、出てきた言葉の(自分にとっての)意味を見つける。様々な作家や絵描き、ダンサー、音楽家もこうした方法に影響を受けていた。カール・ユングに直接カウセリングを受けていた作家ヘルマン・ヘッセにも、その影響が小説『Steppenwolf (荒野のおおかみ)』に現れていた。

僕の作品の多くも、このように起きている状態の夢から、言葉が聴こえて来て、それを書き出すことから始まっている。それは僕にとっていつも言葉であって、英語の言葉でもある。日本語から始まったことは未だにない。音からはあるが、英語も音であるから、そうできるのではないかと思う。carl-jung-paiting

アイリッシュ・ハープの写真

こないだ僕の作曲のレッスン中に取った写真です。

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Maria Watanabe

ハープ弾き語り作曲レッスンなう。Ayuo 先生との出会いで、音楽の海に漕ぎだせたような気がしています🎵

Maria Watanabe どんなに初歩的な質問にも誠実に答えて頂き、目指す方向に導いて下さるので、本当にありがたいレッスンです。
Yoshihide Nakano すみません、この楽器の名称を教えてください。
Ayuo Takahashi アイリッシュ・ハープです。僕のAyuo Music Lessonsのチラシで見れる同じ楽器です。知っている方が日本に輸入しています。僕の音源でハープを弾いている場合はいつもこの前にある楽器を使っています。youtube等で聴けます。
Yoshihide Nakano おそれいります、ありがとうございました!
Maria Watanabe レッスン生です。Ayuo先生との出逢いで、音楽の海に漕ぎ出せた気がしています。どんなに初歩的な質問にも誠実に答えて頂き、目指す方向に導いて下さるので、本当にありがたいです♫

2014年のBirthday

2014年の10月のフェイスブックのページより

Nashaal Naho Baba Barbara added 5 new photos — with Ayuo Takahashi.

Happy Birthday Ayuo Takahashi-san! Celebrating talented artist Ayuo with his mother Utako Akemoto san. And.. practicing and rehearsing for our Nov. Dec. show! Practicing KINCS from 70’s rock with Piano and vocal. So coooooool!!
あゆおさん、お誕生日おめでとうございます!お誕生日の日に、お母様の歌子さんと一緒にお祝い♪ そして、11月、12月とAyuoさんとご一緒するショーのリハーサルなう。歌子さんとあゆおさんのリハめちゃかっこいい!KINCSの70年代ロックのナンバーを、歌とピアノの母子セッションで、「まるでここはNY?!」っていうカッコよさ。歌とピアノがあるだけで、世界の色が変わる。素敵で幸せ〜!!!!

Nashaal Naho Baba Barbara's photo.
Nashaal Naho Baba Barbara's photo.
Nashaal Naho Baba Barbara's photo.
Nashaal Naho Baba Barbara's photo.

 

ホークウインドについて

『私はアンチ・コミュニスト、アンチ・ファシスト。どんな、極端なものにも反対だ。』とレミーは様々なインタビューで答えている。『どんな政府でも問題を起こす事の方が多い。』彼は自分の事をアナーキストと言っている。
レミーはホークウインドと共に3回ライブを見ている。1973年、1974年、そして1988年にホークウインドのゲスト・シンガーとベーシストだった時に見ている。ホークウインドはアメリカでグレートフル・デッドがそうであったようにイギリスのヒッピー・コミュニティーの代表的なバンドだった。公演でフリー・コンサートをしょっちゅうやっていた。詩の朗読、ダンサーとライトショーを含んだサイケデリック・ショーをやるようになり、アメリカにもツアーに出かけた。しかし、グレートフル・デッドと違って、メンバー同士は仲悪くなり、お互いを裁判で訴えたりするようになる。ラブ・アンド・ピースから始まったが、そこから遠いところに行ってしまった。しかし、リーダーのデイブ・ブロックとレミーの間にはテレパシーのようなコミュニケーションが楽器を通して出来るようになった、とレミーは語る。
ホークウインドのライブをニューヨークで1974年に見た時、サックス奏者のニック・ターナーはカエルの衣装を着ていてとダンサーのステイシアとステージの横で一緒に踊っていた。その内、前のお客さんが吸っているマリファナを一緒に吸う為にステージの前の方に座り込んだ。お客さんの中に猫を連れてきている女性もいた。音楽は切れ目なしに、長いミニマルなリフの繰り返しとアドリブを大音響で2時間近くやっていた。猫を方に乗せた女性は大音響のロックを一緒に聴いていた。宇宙のイメージを映し出すライト・ショーの下で、メンバーも宇宙に飛んでいるような感じだった。70年代以後では考えられないヒッピー達のサイケデリック・ショーだった。このコンサートで、僕がダンサーのステイシアをとった写真が家にどこかにあったが、最近は見つからない
このドキュメントでは音楽についてだけではなく、イギリスの60年代から70年代のヒッピー・シーンの時代が伝わってくる。