Ayuoの翻訳したジャネット・ウインターソンの『カプリの王様』

僕の翻訳したジャネット・ウインターソンの書いた絵本はアマゾンを初め、絵本を扱う本屋さんで売られている。ジャネット・ウインターソンは僕の最も尊敬する文学者の一人である。ジャネット・ウインターソンは1959年生まれの英国の女性の小説家。1980年代に本屋さんで発見した以来、ウインターソンの書いた本は全て読んでいる。
この絵本は小学生以前の子供に読み上げるのに向いている。何度かそういう機会には、この本の英語を見ながら、その場で直訳して読み上げていた。その内、小学館にこの本の話しを持って行ったら出版してくれるのではないかと思って、自分の読み上げていた文書を書いて見た。そこから、僕の日本語を直して出版されたのが、この絵本。ジャネット・ウインターソンは、他にも絵本や小学生向けの小説等を出版しているが、彼女の小説がまず素晴らしい。現在生きている作家の中で最も大きな影響を受けた一人だ。
ジャネット・ウインターソンの文章にはカール・ユングの影響も入っている様に見えるが、他にも現代科学からの考え方から文化人類学者の古代人類の研究等、様々な影響が彼女の文章に見える。J.L.ボルヘス、ガブリエル ガルシア マルケス、イタロ カルヴィーノ、サルマン・ラシュディ、アンジェラ・カーター、等様々な20世紀の様々な作家と比べられることもあるが、ウインターソンは独自に芸術について深い考え方を持っている。それに基づいて、下記の文書を書いて見た。
(日本語がまだ直っていないところがありましたら、ごめんさい。また、下記の文書を見ると難しそうに見えるかもしれませんが、絵本は小学生以前の子供が理解出来るものですよ。)

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『芸術は複雑な感情を達成する。
複雑な感情は、よく人生に中の大きな出来事の後に感じる事が多い。
男性か女性になった時(成人する時)、恋に落ちる時、人が生まれる時、人が死ぬ時。
そして、それぞれに強くタブーとされる面がある。
複雑な感情は禁じられているものを軸にして回る。』- ジャネット・ウインターソン
(1959年生まれのイギリスの作家)

僕はジャネット・ウインターソンの作品を20代の頃から読み始め、最も僕が影響を受けた人の内の一人となったが、神話学者ジョーゼフ・キャンベルからも、僕は、大きな影響を受けていた。

神話学者ジョーゼフ・キャンベルは、世界の様々な神話、宗教、儀式、芸術を古代から研究して、それらについてたくさんの本を書いた。その独特な解釈と分析の仕方は多くの人々に影響を与えた。こうした本は、世界の文化の様々な違いと共通点の理解の仕方を人々に教えた。

生まれる時、
成人になる時、
結婚をする時、
亡くなる時、

には世界中に人生の重要な儀式がある。
そうした世界中の儀式についての考え方と違いについても、ジョーゼフ・キャンベルは書いて来た。

現在の世界の文化、そして古代の文化からのいろいろな考え方や残っている文章を調べて行くと、そこの中での自分の考え方というのが出来てくる。
それは自分の育った地域や家族や国や民族の伝統にあったものとは別に、一人の人間として客観的に感じている世界の見方が出来てくる事だと思う。

アート(芸術)は常に、こうした内容を多く語って来たと僕は思う。

この世に生まれて、生きていくというのはどういうことか?
男性性や女性性 とは何か?
恋に落ちるというのはどういうことか?
人が亡くなるというのは、どういうことなのか?

アート、宗教、科学はこうした事に答えを出してくれる。
そして、言葉にならないような気持ちも表してくれる。

私たちがアート(芸術)でやっている事は、こうした問題を、アートを通して理解しようとしている事だろう。
役目は常に宗教と同じであり、科学と似ている。
ただし、科学者はそれを証明しないと成り立たない。
芸術は感覚的に理解が出来る。
しかし、科学に対して芸術家はあこがれを持っている。
科学者が芸術家にあこがれを持つのと同じように。

これらは僕が思っている事。
——————-

ジャネット・ウインターソンは次のように書いている。

芸術は現実逃避でも娯楽でもない。もちろんこういった物はたくさん存在するが、本物の本、本物の絵画、本物の音楽、本物の演劇はそうではない。

芸術は科学や宗教と同じく構成されているもの。世界と同じように構成されている。私とあなたとおなじように人工的であって、自然でもある。それがなく生きる事は出来なく、それと共に生きる事も出来ない。

詩人は科学者よりも深く人間の中に入り込んでゆく。
詩人は自分の網で困難なものを拾い上げて、現在に持って来る。
そうすることによって、読者は自分の気付かなかった深い面を認識する事が出来る。
読者は自分の中で何年もそのささやきが聞こえていた声をはっきりと聞き取る事が出来る。
時によって、その声は生まれた時からあったようにも感じたりする。
それは、場合によっては嘘かもしれない。
そうすると、読者は自分の恐れるものを確認する。
—————-

芸術はプライベートな悪夢でも、プライベートな夢でもない。
芸術は現在という渦巻きの中で過去と未来の可能性を見つける人間共通のつながりを作る。

芸術の美しさは脅迫するもの。
そして現実化出来ていない人生の、はっきりしていなかった面に慰めを与える。

(ジャネット・ウインターソンの言葉の翻訳と解釈:Ayuo)

 

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13世紀のペルシャの神秘思想家・詩人ルーミーの言葉と20世紀の精神科医・心理学者のカール・ユングには共通の考えがいつかも見える

13世紀のペルシャの神秘思想家・詩人ルーミーの言葉と20世紀の精神科医・心理学者のカール・ユングには共通の考えがいつかも見える。
それらの言葉を下記に皆さんに翻訳して見ました。

昨日書いたフロイトの言葉の説明にも共通の考えが見られる。
ご興味を持った方は昨日のfacebookで探して見てください。
ただし、言葉の最後まで読まないと分からないかもしれない。

まずはルーミー (日本語はすぐその下にあります。)
From “What hurts the soul?” by Rumi
—-
We tremble, thinking we’re about to dissolve
into non-existence, but non-existence fears
even more that it might be given human form!

What hurts the soul?
To live without tasting
the waters of its own essence.

Use night to wake your clarity.
Darkness and the living waters are lovers.
Let them stay up together.

私たちは亡くなる事を恐れている
しかし、存在のないものにとっては、
人間の形にされる事の方がもっと怖いと感じている

何が心を痛めつけるか?
自分の水の本質を味わずに生きていく事だ

夜の暗闇を使って目を覚まそう
生命を持つ水と暗闇は恋人同士
一緒に起きていよう

(テキストの抜粋と翻訳:Ayuo)
——————
“One does not become enlightened by imagining figures of light, but by making the darkness conscious. The latter procedure, however, is disagreeable and therefore not popular.”― C.G. Jung

光り輝くものをイメージする事では悟れない。
暗闇にあるものを意識に持ってくる事のみで悟れる。
しかし、後者の方が大変なので、あまり好まれる方法ではない。

“No tree, it is said, can grow to heaven unless its roots reach down to hell.”
― C.G. Jung

天国まで伸びていける木は、地獄にその根っこがある。

“Only what is really oneself has the power to heal.”
― C.G. Jung

本当に自分自身であるものだけが癒す力をもっている。
(他のものは気休めにしかならない。)

(テキストの抜粋と翻訳:Ayuo)
———————
ルーミーについては次のページがウィキペディアにあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャラール・ウッディーン・ルーミー

20世紀の振付師ベジャールはルーミーをテーマにしたコンテンポラリー・ダンス作品を作っている。

ルーミーの思想の一つとして、旋回舞踏によって「神の中への消滅」という死に似た状態に陥る神秘体験の実行が挙げられる。1273年のルーミーの没後、コンヤの墓廟を拠点としてかれの弟子によってコマのように回って踊るサマーウ(セマ)という儀式で有名なメヴレヴィー教団が形成された。メヴレヴィー教団では同教団の始祖と仰がれている。主な著書はペルシャ語の詩集『精神的マスナヴィー』

http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャラール・ウッディーン・ルーミー

カート・ヴォネガットの小説『母なる夜』の映画版からの一つの場面

明日、カート・ヴォネガットの小説『ジェイルバード』からの場面に基づくAyuoの作品『オフィーリア』をP3 art & environment で演奏するが、これはカート・ヴォネガットの小説『母なる夜』の映画版からの一つの場面。アルヴォ・ペルトの弦楽の音楽が使われている。作家カート・ヴォネガットが自身もこのクリップの1分18秒から10秒間出ている。
これは全てを失った男が、何も前に進む理由が見つからない事に気づいて、町の真ん中にただ止まってしまう場面。彼を愛していた女の人は、彼自身が疑ったために自殺されてしまい、彼が親友だと思って長年付き合っていた男は彼を裏切って外国の刑務所に彼を拉致する計画を作っていた事が分かってしまう。愛する人も友達もいなければ、信頼関係が成り立つ相手もいなくなる。第二次大戦中、アメリカのスパイとしてドイツに生きながら、表面的にはナチス宣伝部員として働いていたため、世間全ての人から’ナチ’と見られてしまっている。
『立ち止まったのは、罪の意識からではなかった。何も罪も感じないようになっていた。。。立ち止まったのは死の恐怖からではなかった。死は友達のように思うようになっていた。。。立ち止まったのは、愛されていないからではなかった。愛されていなくても生きて行けるようになっていた。立ち止まったのは、もはやどこにも行く理由がなかったからだ。』
最後に警官に『大丈夫か?』と聞かれて、行くように言われて、やっと歩いていく。
ニック・ノルティが主人公の役を演じていて、シェリル・リー(ツイン・ピークスのローラ・パルマー)が主人公を愛していた女の人を演じている映画『マザーナイト』より。とても、よくカート・ヴォネガットの世界のある一面を表している。カート・ヴォネガットの世界は全体としてはユーモアとシニカルなアイロニーに満ちている。Ayuoの作品で描きたい世界と共通の部分がたくさんある。

Ophelia by Ayuo

このリンク先の『オフィーリア』という曲はAyuoのCD『絵の中の姿』に収録されている。ヤドランカとAyuoによって歌われている。カート・ヴォネガットの小説「ジェイルバード」のある場面にインスパイヤーされて書いた曲。
カート・ヴォネガットの小節は最初、僕が12歳の頃に継母のカレンに読むように言われた。14歳から15歳の頃、それまで出ていたほとんどの小説を読んだ。カート・ヴォネガットの描くテーマは一生自分の作品に残っている。ところで、彼の有名な小説の映画版『スローターハウス5』ではグレン・グールドのピアノ演奏が映画音楽に使われている。『マザー・ナイト』では作曲家、アルヴォ・ペルトの音楽が使われている。
カート・ヴォネガットはドイツ系アメリカ人で、第二次大戦争の時期をアメリカ兵として、ドイツで戦い、捕まり、捕虜になった。彼の小説に、この戦争体験が重要なテーマとして出てくるが、彼の書き方はとてもユーモラスで笑い出せる場面も多くある。
この場面では、主人公のアメリカ兵が1945年の夏に戦争が終わった事に大きな喜びを感じて、ある女性に語りかける『これからの新しい時代を見てごらんよ、世界はやっと今までの間違いに気付いたんだよ。一万年の狂気と欲望の時代がこの戦争裁判と共に終わるんだよ。本も書かれるだろうし、映画も作られる。これこそが歴史の中で最も重要な曲がり角かもしれない。』しかし、その女性はまるでオフィーリアのようなキャラクターだった。彼女は戦争での人間の行動を見てから、人間が良いものだと信じなくなった人だった。第二次大戦後には何万人もこうした女性が戦争の跡地を放浪していた。オフィーリアは次のように歌っている:
私をさわらない
私も誰もさわらない
飛んでいる鳥のように
とても美しい
神と私だけで
愛の言葉を語ったアメリカ兵に次のように答える:『私たちは宇宙の片隅にできた病気のようなもの。人間が子供を作り続けていくこと自体が間違っていると思っている私に、よく愛なんか語れるわね。まるで8歳の男の子みたいね。』
彼は答える:『時代の夜明けにぴったりの年齢さ。』
2000年代にイラクに戦いに行ったアメリカ兵も、このようにアメリカのデモクラシーを世界に広めないといけないという信念で行ったものが多かった。
この小説が書かれた70年代にも、20世紀最後の左翼的な政治思想が生まれていた。でも人間は変わらなかった。第二次大戦を体験したヨーロッパの女性オフェーリアの考えは、社会思想や人間の新しい未来をだれかが語る時、僕がいつも思うことと重なっていた。この曲はそれを表現している。
この小節「ジェイルバード」の最後には、第二次大戦争でアメリカ兵だった主人公がニューヨークを歩いていると、町中のお店、新聞やテレビなどメディア、エンターテインメントが同じ会社のものになっている時代になったと気づく。今でいえば、セヴン・イレブン、ガスト、マック、などのチェーン店にあふれている町になり、個人営業は難しい時代になっている。1970年代から見ると、まさに今の時代だ。そこで、彼は戦前に一緒に社会運動をやっていた元彼女が全てのオウナーだと分かってしまう。戦前にはスターリン風の社会主義をアメリカに広めようと一緒に運動をやっていた。実際のスターリンのソ連では多くの人々が収容場で殺されたとも気づいていなかった。彼女は久しぶりに会う元彼氏に語る『私はやったのよ! アメリカを社会主義にしたの。あなたと別れた後にお金持ちと結婚して、次々と買収した。誰かが全てを買わないと資本主義は終わらないと私は考えたの。』
2010年にニューヨークに「ウォール街を占拠せよ」というプロテストの運動が会った時に、スロヴェニアの哲学者スラヴォイ・シジェックがみんなにある言葉を唱えさせた:
『私達は社会主義者ではない。ウォール街のお前たちが社会主義者だ。』たしかに、近年、ビル・ゲイツやアメリカの多くの億万長者達は自分達は社会主義者だと言っている。そして、社会主義者だといっている数人が全てオウナーに成り出している。中には自分たちはリベラル・コミュニストだと言っている人たちもいる。多くは1968年の学生運動を通って来た人たちだ。しかし、今の世の中を見て、はたして社会は良くなったであろうか?
1970年代に未来が、このようになっていくと考えられた人は少なかったかもしれない。哲学者のスラヴォイ・シジェックは言う『多くの西欧諸国の人々は社会主義になって来ているのを気づいていない。中国、ロシアや私達、東ヨーロッパの人達は長年社会主義の国で住んでいたから、それは敏感に感じる。そして、その危険性も、自由が失って行く事も感じられる。』
この本や他のカート・ヴォネガットの本を推薦したい。
この曲は組曲の2曲目だった。1曲目は上野洋子さんとイギリス人のプロデューサー、デヴィッド・ロードと一緒に自費でレコーディングしたが、まだ発売されていない。『絵の中の姿』は現音舎 のレーベル、ジパング・プロダクツより発売されている。アマゾンでも売られている。

This is a video of the second and third songs in ”What We See In The Picture”(recorded as “A Picture of You and I” in the Ayuo’s CD “RED MOON”

This is a video of the second and third songs in ”What We See In The Picture”(recorded as “A Picture of You and I” in the CD “RED MOON”, available from Tzadik Records). A full English translation of the words are at the bottom of this article and also on the youtube page.
これは3月5日にラストワルツで演奏された『絵の中の姿 』の2曲目と3曲目の映像。3曲目にAyuoはマスクを付けています。この日の演奏を見に来てくれたお客さんの一人が次のコメントを書いてくれました。ありがとう。曲の詩が下記にあります。
『そして第二部の最初の曲「絵の中の姿」を聴いたとき、これは男性をシテとする能の「井筒」ではないか、こう思いました。女が幼なじみで、かつて結婚もした在原業平のことを忘れられず、彼の服を着て舞い狂う。そのあげく、井戸のなかに自分の姿、というより業平と一体化した自分の姿を見る。夢幻の世界における「永遠の男性」との合一です。
一方、「絵の中の姿」は、同じく幼い頃からの愛が成就して結婚。しかし40?を過ぎたころ、最愛の女性が逝去してしまう。だがその面影は、彼の心のなかに「永遠の女性」として住み着いている。あるいは住み着かせようと悶え苦しんでいる。
このような思いで聴いていました。それだけに途中でマスクを被ったときも、能面がここで出てくるのも、またそれが縦に2つの顔に描き分けられているのも、当然。失われた「半分」と幻想のなかで一体化しようとしているのだ、などと妄想にふけりながら聴いていました。
こうして、サロメ、さらにはライラ(リリト)から、幼いころからの純粋な愛を投影された女性、さらには池にはまっても、ついでに一周、泳いで廻ってしまう女性。。。さまざまな女性像、そしてそれに伴われる男性の様々な想いがステージに次から次へと登場する。
しかも意図的か否かは分かりませんが、いわゆる「夢幻能」という形式に接近することで、人間のもつ苦しみ、怖れ、怒り、妬み、愛、いとしみ、慈しみ、尊敬といったありとあらゆる感情を引きだしながら、ユングそのままではあまりに血に濡れたままえぐり出されてしまうところを、幽玄な時空間のなかにすっぽりと収めてしまう。
そうして幽玄の時空間を現出させたのは、尺八と琴という和楽器だけでなく、全体のアンサンブルによるものだ、、、、などとあれこれ楽しい夕べを過ごすことが出来ました。』
Ayuo: Dance, Vocals
Yoko Ueno上野洋子: Vocals
Akikazu Nakamura: Shakuhachi 尺八
Toshiko Kuto: 21-string Koto 21弦筝
『絵の中の姿』 作詞作曲:Ayuo
1) 八つの時に
君とはじめて会ったときは
八つの頃だった。
君とは同い年
近所の家の庭で
君の書いた歌を見せた
幸せになるには
繊細すぎる心を持ってた
と思ったが
その後にも
自分で編んだ服を着て
僕の前に現れて
いろんな歌を見せた
終わりかけないのも、たくさんあったが
それはだれにも習ってないから
君と話しながら共に学んで行こう
と言った
十四のときに
君が秘密に
お菓子を持ってきた事がばれて
みんなに笑われたため
その後には
僕の前から身を隠すようになった
2) 結婚の夜に
結婚の夜に
君の鼓動はとても早く
何故と聞くと
永遠の愛のように
君の笑顔が輝いた
3) 四十の時に
四十の時に
君は重い病にかかった
寝たきりの君を治療のために
山につれてった
君を肩にしょいながら
舟で川を渡り
山を越えた
元気になったと思うと
急に倒れて
旅の途中申し訳ないが
と君はは言いつつ
生まれ変わるまで、と言いながら
この世から去っていった
————————————————–
Translation of words into English by Ayuo.
1) When We Were Eight
I first saw you when we were eight
You and I were the same age.
In the garden of a house nearby
you showed me some songs you wrote
“Such a sensitive heart”, I thought.
And I wondered if you could ever become happy
And after that
you often came to our house
wearing a dress, you made on your own
you showed me many songs
there were many that you hadn’t finished
you told me that it was because
You had never studied with a teacher
“Let’s learn together”, you said to me.
We were 14,
When you tried to bring me a cake.
People found out and laughed
and after that
you hid yourself away from me.
2)On our wedding night
On our wedding night
I felt your heart beating fast
I asked “How come?”
And you gave me a smile with a love
Like that of eternity.
3) When we were 40.
When we were 40.
You became ill and bedridden
To find someone to cure you
I had to take you to the mountains
I carried you on my shoulder
Crossing rivers on boats
And over mountains.
I thought you were getting better
But you collapsed suddenly
Forgive me, but i can’t make it till the end
You kept telling me
See you in the next life, you told me
And you disappeared from this world.

ジョン・ネイサンの書いた三島由紀夫の伝記

これはジョン・ネイサンの書いた、僕にとっては一つの思い出の本。この表紙に写っている写真のほんの数週間前に、両親と共に三島由紀夫と会った事があった。1970年に、約一ヶ月間、僕と母と義父と共に日本に滞在した時があった。僕にとっては幼稚園と小学校の頃では、唯一日本に来日した時だった。夜、あるパーティーで三島由紀夫は、篠山紀信の取った彼の写真を見ながら、どれを使うかを選んでいた。そして、僕の母にもアドヴァイスを聞いていた。

ジョン・ネイサンの翻訳した三島由紀夫の小説と彼の伝記が、僕にとって初めて読んだ日本文学だった。ジョン・ネイサンと彼の日本人の妻で絵描きの小田まゆみは、当時三島由紀夫と親しく、ジョン・ネイサンの翻訳する三島の小説はアメリカやヨーロッパで知られていた。三島由紀夫はアメリカの小説家エドガー・アラン・ポーやオスカー・ワイルド等の影響も受けていて、とても読みやすかった。西洋文学を読む時と感じ方で読めるものだった。そうした小説は少くなかったと思う。三島由紀夫と寺山修司の文学は西洋文学の影響もありながら、僕にとって美しく自然に聴こえる日本語の響き方で書かれていた。寺山修司はそうした三島由紀夫の言葉の使い方にとても影響を受けていたと聞く。

2000年代では、三島由紀夫と寺山修司の書いた文学を朗読しながら演奏する曲を、いくつか演奏していた。TZADIKから発売されている『AOI』もステージでは、三島由紀夫の近代能楽集の『葵の上』から朗読をいれたり、僕のコンサート『ドビュッシー・パート 2』ではドビュッシーが作曲したのダヌンツィオの『聖セバスチァンの殉教』から三島由紀夫の翻訳を朗読したりした。

三島由紀夫は政治思想に興味を持つタイプの人ではなかった。60年代の初めころに、ある雑誌で、当時の天皇陛下が殺されてしまう小説が載ると、右翼の活動家達に三島由紀夫がきっと、その小説を推薦したに違いないと間違われ、命を狙われてしまう時期があった。しかし、その後、60年代の後半に向かって、彼は自分の作った”愛国主義者”キャラクターを演じるようになってしまった。ジョン・ネイサン、イアン・ブルマ、コリン・ウイルソン等は三島由紀夫についてそのように見ている。
イアン・ブルマは三島由紀夫について、次のように書いている: “Mishima was in almost every respect an oddity, and it is dangerous to think to see him as typical of anything…Dandies are life’s practical jokers who must fool people into thinking they are something they know themselves they are not. They are like exhibitionists who feel alive only when they are watched.”

そして、1970年に切腹をしてしまう直前に出版に届けて最後の小説『天人五衰』のエンディングは、僕にとってシェークスピアのマクベスの次のセリフを思い起こせるようなものだった:
Life’s but a walking shadow, a poor player
That struts and frets his hour upon the stage
And then is heard no more: it is a tale
Told by an idiot, full of sound and fury,
Signifying nothing. (「人生はしょせん歩く影、憐れな役者/……/白痴の語る物語、響きと怒りに満ちてはいるが/何を意味するわけでもない」

三島由紀夫の演じた芝居の終幕だった。

三島由紀夫が学生運動家や社会運動家、政治思想家についてよく語っていた一つの意見は正しかったと僕は思う。多くの日本の左翼系の社会運動家が言っている事は、右翼的だった。僕が見てきた左翼系の社会運動家もみんなそのように見える。アメリカで僕が見た60年代え学生運動をやっている人たちとは全然別のものだった。アメリカでは、音楽映画『ウッドストック』、『イージー・ライダー』、そして多くのロック・バンドの歌っているのは本当のデモクラシーを求めていたものだった。アメリカでは、政府が言っているほどの本当のデモクラシーにまだなっていない、と多くの学生は語り。『我々の世代がそれを変える』、という主張が強かったと思う。
日本の学生運動家は基本的に反米主義だった。アメリカを帝国主義の敵国と見て、デモクラシーよりも最初はスターリニズム、後には文化革命当時の毛沢東思想が流行っていた。どちらかというと軍国主義的な全体主義の国を棚に上げていた。そして、日本の左翼系の社会運動家の多くはアジアの運動家との連帯も求めていた。三島由紀夫も語っていたことだが、こうした考え方をしている人は、内心では右翼化しているのだが、それがカッコウ悪いと思ってしまうから隠しているように僕にも見える。
今でもそうだが、日本で育って、アメリカやヨーロッパに行って、うまくコミュー二ケーションが取れなく、仕事で失敗して日本に帰ってくると政治的になってしまう人が一部にいる。それは自分が社会でうまく出来なかった事を隠すことでもあったりもする。そうした人は反米主義者になったり、アジアの社会運動家との反米主義的な連帯を唱えたりする。中には右翼もいるが、左翼の仮面をかぶったカクレ右翼もいる。

こういう人たちの事を三島由紀夫は見抜いていたのだと思う。yukio-mishima-last-day

John Nathan’s biography of Yukio Mishima

This is a book by John Nathan, a memorable book for me. were the very first Japanese literature I had ever read.
I had been rereading Colin Wilson’s sequel to “The Outsider” , entitled “The Misfits”, in which he writes about Yukio Mishima.
I had met Yukio Mishima with my parents, exactly about a month before he committed ritual suicide.
This was at a party in Tokyo.I was in Tokyo for about a month in 1970. This was the only time during my elementary school years that I went to Japan.

The day before we all flew back to New York, the photographer Kishin Shinoyama had a party and Mishima was sitting in the back room. He had many photographs taken of himself in various characters and poses, and he was asking my mother which photographs she liked. I still remember Yukio Mishima and his voice as he talked in that room that night.

He was the first Japanese writer I have ever read, although it was in a translation by John Nathan. Yukio Mishima’s main influences were Edgar Allen Poe, Oscar Wilde, Jean Cocteau, George Bataille and many other Western writers from the late 19th century to the early 20th century. His influence from these Western writers is what makes reading his books easier than other books written in Japanese. At the very center of his influences are these writers, and he adopted many Japanese classics using his influences from these writers. He seems Japanese on the surface, and he understands its culture, but I often feel that he and Shuji Terayama were the best writers in adopting Western influences into the Japanese language. Shuji Terayama, who was also a film director and a playwright was once influenced by Mishima’s way of adopting Western literature. Both can make the sound of the Japanese language quite beautiful and musical.

Colin Wilson sees Mishima as someone who was a social misfit at the start, but had slowly began to put on an act.
He began posing as some kind of an extreme “patriot” that was quite different from the writer character within him.

The journalist, Ian Buruma wrote, “Mishima was in almost every respect an oddity, and it is dangerous to think to see him as typical of anything…Dandies are life’s practical jokers who must fool people into thinking they are something they know themselves they are not. They are like exhibitionists who feel alive only when they are watched.”

He was quite apolitical to begin with. As an observer, he always said that the leftists and the student activists in the 60s in Japan were saying things that are the same as the rightists. I believe this is very much the truth.

I remember the student protests in the States were more about making the country more democratic, whereas much of the leftists in Japan were protesting against the US as American imperialism. Many Japanese who went to the US or Europe and was unsuccessful especially at communicating with the people there, returned to Japan to become Anti-American political activists. Since becoming right-wing was not seen as ‘cool’, some hid their thoughts in the back of left-wing ideology. But when one sees that it was Stalinism, Maoiim of the Cultural Revolution, one sees that it was leaning towards totalitarianism, instead of something like “Woodstock” which was an expression of freedom and democracy.

The following is an excerpt from a short dialogue that I edited from the very end of “The Decay of Angels”,, the work he delivered to his publishers, just a few hours before his suicide.

————From “The Decay of Angels”—————–
“I came here sixty years ago.”
“Memory is like a phantom mirror. It sometimes shows things too distant to be seen, and sometimes it shows them as if they were here.”
“But if he didn’t exist, and she didn’t exist, who knows perhaps I too didn’t exist.”
“That too is as it is in each heart.”
“You have been kind enough to come all this way. I think you should see the south garden. I will take you there.”
“It was a bright, quiet garden, without striking features. Like a rosary rubbed between the hands, the shrilling of cicadas held sway.
There was no other sound. The garden was empty. He had come to a place that had no memories, nothing.
The noontide sun of summer flowed over the still garden.”
———————–

This quite reminds me of the following quote from Shakespeare’s play “Macbeth”.

Life’s but a walking shadow, a poor player
That struts and frets his hour upon the stage
And then is heard no more: it is a tale
Told by an idiot, full of sound and fury,
Signifying nothing.
————–
The end of “The Decay of Angels” was the last act that Yukio Mishima wrote for the character he was acting out.

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Peter Gabriel and Angela Carter

Peter Gabriel and Angela Carter
————————-
Quotation from Angela Carter (abridged from p123-127 of “The Sadeian Woman”
(日本語の短い感想文が下記に書いてあります。)
Words to Peter Gabriel’s song at the very bottom.

Consider the womb, the extensible realm sired in the penetrable flesh; most potent matrix of all mysteries. The great, good place; domain of futurity in which the embryo forms itself from the flesh and blood of its mother; the unguessable reaches of the sea are a symbol of it, and so are caves, those dark, sequestered places where initiation and revelation take place. Men long for it and fear it; the womb, that comfortably elastic organ, is a fleshly link between past and future, the physical location of an everlasting present tense that can usefully serve as a symbol of eternity, a concept that has always presented some difficulties in visualization. The hypothetical dream-time of the fetus seems to be the best we can do.
For men, to fuck is to have some arcane commerce with this place of ultimate privilege, where, during his lengthy but unremembered stay, he was nourished, protected, lulled to sleep by the beating of his mother’s heart and not expected to do a stroke of work, a repose, of course, not unlike that of a corpse, except that a fetus’ future lies before it. And the curious resemblance between the womb and the grave lies at the roots of all human ambivalence towards both the womb and its bearer; we mediate our experience through imagination and dream but sometimes the dream gets in the way of the experience, and obscures it completely – the womb is the First and the Last Place, earth, the greatest mother of them all, from whom we come, to whom we go.
The womb is the earth and also the grave of being; it is the warm, moist, dark, inward, secret, forbidden, fleshly core of the unknowable labyrinth of our experience. Curiously, it is the same for both men and women, because the fetus is either male or female, though sometimes both; but only men are supposed to feel a holy dread before its hairy portals. Only men are privileged to return, even if only partially and intermittently, to this place of fleshly extinction; and that is why they have a better grasp of eternity and abstract concepts than we do.
They want it for themselves, of course. But not, of course, a real one, with all the mess and inconvenience that goes with it.The womb is an imaginative locale and has an imaginative location far away from my belly, beyond my flesh, beyond my house, beyond this city, this society, this economic structure – it lies in an area of psychic meta-physiology…This is the most sacred of all places. Women are sacred because they possess it.
The truth of the womb is that it is an organ like any other organ, more useful than the appendix, less useful than the colon..
To deny the bankrupt enchantments of the womb is to pare a good deal of the fraudulent magic from the idea of women, to reveal us as we are, simple creatures of flesh and blood whose expectations deviate from biological necessity to sufficiently to force us to abandon, perhaps regretfully, perhaps with relief, the deluded priestesshood of a holy reproductive function. This mystification extends to the biological iconography of women.
The goddess is dead.
And, with the imaginary construct of the goddess, dies the notion of eternity, whose place on this earth was her womb. If the goddess is dead, there is nowhere for eternity to hide. The last resort of homecoming is denied us. We are confronted with mortality, as if for the first time.
There is no way out of time. We must learn to live in this world, to take it with sufficient seriousness, because it is the only world that we will ever know.

– Angela Carter (abridged from p123-127 of “The Sadeian Woman”

とても詩的で美しいアンジェラ・カーターの文章。
翻訳されていないし、翻訳する時間もない.
その文章の美しさを、別の言葉で伝えるのも難しい。
非常に簡単に、ここや他の文章でもカーターは語っている意味は:
天国は存在しない。死後の世界として人が想像するのは母の子宮にいた時の状態 (働かなく生きている状態)へのノスタルジーだろう。”永遠”というイメー ジも子宮にいた時の感覚を思い出す事から来ている。私たちが”私たち”として生きていられるのは、今現在いるこの世の中だけだと気が付いた時に初めて人は 本当に真面目にがんばって生きていく事が出来る。これしかないと分かると人はホッとする。
人はこの状態に戻りたいと思って、それにまつわる神話を作っていた。男性は子宮を自分で持っていない為に自分でも欲しいと思っている。男性はfuckとい う行動で一瞬だけ特別な場所に近くなった気になる。そして、人はその周りに宗教を作り、神秘思想を作ってしまう。秘密のされているものというのは、それだ けで大きなパワーを持つ。神聖で近寄れないものは、同時に汚れたものとして見られる。聖母マリアを讃える運動がカソリック協会で始まると、魔女狩りも同時 に始まる。人間の心理がそうさせてしまう。(ケガレが神聖なものとつながるのは西洋だけではないだろう。)

これは、しかし、物質主義を語っているのとは違う。アンジェラ・カーターはたくさんの世界のおとぎ話や神話を集めた素晴らしい本をいくつも編集して出版し ている人で、カーターほど世界神話に詳しい人は少ない。また、彼女が亡くなった時には、彼女の遺言にある詩人の書いた特定の祈りの言葉を唱えるように書い ていた。
祈りや心の中からの叫び声は人に伝わる。
私たち3次元の生き物には見えない次元に包まれているというのは現代の宇宙科学が研究している事だ。
人も他の生命と同じくゲノムから出来ている。新しい生命の遺伝情報には、最初の生命、そしてバクテリアから爬虫類、哺乳類への道を全てたどってから生まれ る。 これはそれぞれの人も”個人”ではなく、地球の歴史と完全に繋がっている事が見えてくる。”私”とか”僕”とよばれている存在も、いくつもの遺伝情 報から出来ているので、個人ではなく、総合された生き物として見れる。

しかし、DNAやゲノムの事ほど、勘違いされているものは少ない。
マット・リドリー、中村桂子やリン・マーギュリスの生命科学の本を読んで欲しい。
そこで書かれている事は一般的な知識をひっくり返す事である気がする。
政治思想よりもよっぽど革命的だ。
最近のナショナリズや人種主義の世界的な盛り上がりは、科学の一般的な情報の少なさからも来ていると思う。

日本での一般的なDNAの考え方は軍国主義を作った考え方から変わっていない。
いわゆるRacisim(人種主義)である。
そのような考え方が深く根強く”伝統”としてあるような気がする。
日本のサヨクも殆どが反米主義が中心なので、同じくRacisim(人種主義)の考え方を平気で語っている。
DNAやゲノムの知識があまり伝わっていないのは、”難しい”という偏見、そして生命の誕生や性的な事について真面目に語る違和感だったりする。
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次のPeter Gabriel の曲の後半(2:08から先)は上記のAngela Carterの文章とのつながりがあるように思ってしまう。
僕はAngela Carterの文章を読んだ時、この曲が聴こえてきた。

Out of woman come the man
Spend the rest of his life gettin back where he can
As a bow, so a dove
As below, so above

From the black hole
Come the tadpole
With the dark soul
In coal she burn, she burn

As I drove into the sun
Didn’t dare look where I had begun
Lost among echoes of things not there
Watching the sound forming shapes in the air

From the white star
Came the bright scar
Our amoeba
My little liebe schoen

– From Humdrum by Peter Gabriel
http://www.youtube.com/watch?v=PaLJQD_2M6c

 

アンジェラ・カーターの本

最近はアンジェラ・カーターの本を読んでいる。アンジェラ・カーターの文章を読んでいると、とても 音楽的でありながら、頭いっぱいにイメージが広がって行く。このような文章を書ける人は少ない。声を出して読みたい文書だ。リズムの流れ方等も自然に音楽 のように言葉が聴こえてくる。そして、場合によっては、そのイメージを読む人の頭に描かせたい為に、正反対の意味の持つ言葉を隣同士にぶつけてしまう。
アンジェラ・カーターの文章は細かい。作曲にたとえるとアルバン・ベルグの曲のように、表現一つ一つに細かい表現がされている。
カーターはおとぎ話や民話・神話に基づいている物語を数多く書いている。彼女は、これを’demythification’と呼んでいる。それは神話から 非現実的な部分を削り落とし、現実的な本当の意味を見つめる事である。ローリー・アンダーソンはルー・リードについて、ルーの歌はダイレクトで刺激的だ が、とても美しく真実を表現出来る、と語っているのとも似ている。アンジェラ・カーターの文書はリアルでありながら、音楽的でファンタジーに満ちている。 なかなか、これはない表現だ。それも言葉で意味を書いているのだけではなく、サウンドを作り、頭で広がる絵のようなイメージを作っている。彼女の書く文章 はマジカル・リアリズムとも呼ばれている。そして、サルマーン・ルシュディーやジャネット・ウインターソンは、彼女の書き方に影響受けていると本人達が自 分で語っている。
’Demythification’は神話の分析とも似ている。ユングの後継ぎとなったMarie-Louise Von Franzのおとぎ話しの分析を思い出させるところがある。アンジェラ・カーターはヒッピー世代で1940年に生まれ、1992年に亡くなった。始め頃の 本では、ヒッピー世代の考え方の影響が強かった。しかし、70年頃にある文学賞を優勝した。それは外国で過ごすお金が賞金だった。彼女はそれを使って日本 に来た。それは、Judeo-Christian(ユダヤ教、キリスト教、最近ではイスラム教も含む)のように聖書の考えがあまり浸透していない国はどん なものかが知りたかったからだった。香港やシンガポールやマレイシアだとイギリスの領土であった期間が長く、英国の影響が出ている。日本は、そういう意味 でエイリアンの国だ。それは住み慣れている人には分からないかもしれない。
日本には来たが、その奨学金では、生活全てが出来なかった。多くの人は英語を教える仕事を見つけるだろうが、彼女はある情報の勘違いから銀座のバーのホス テスを2年間程やった。それは彼女の文学を変えた。人間が非常に現実的に成長して行った。イギリスに戻ると、彼女の書く文章にもその変化があきらかになっ た。1992年に亡くなるまで、世界中の大学に呼ばれるようになった。今では20世紀の英国文学の代表的な作家となっている。イギリスで高校から大学に上 がる時に取る英国文学のA level テストやO levelテストでもカーターの文学について書く人が多いために国家試験用の分析書も最近では発売されている。
また、イギリスの新聞Guardianでイアン・ブルマ( 数ヶ月前にfacebookで紹介した『Inventing Japan』等の作家)についてのエッセイ等を書き、それが今彼女のエッセイ集に入っている。
ドナルド・リッチ∸はアンジェラ・カーターについて素晴らしい文章を書いていて、それはリッチ∸のエッセイ集に入っている。
ドナルド・リッチーが書いているように、一つの土地だけで育ってきた人間は金魚鉢のなかで泳いでいる金魚のようなもので、自分のしている行動を分析する事 があまり出来ない。習らった事を周りの人間達と共有して、それを次の世代に教えるだけになる事が多い。しかし、金魚鉢からいったん出てしまえば、世の中が 変わって見えてくる。人が外国に行って、外国人として生きるというのはそういう事を学べる事もある。一度、元の国から離れ、どこか別の場所に行ってしまえ ば、その人の感覚は変わり、二度と戻らない。
江戸時代では、日本に住む人が海外に出てから、戻ろうとしたら死刑にしていたのは、人の感覚が変わり、二度と戻らない事に気が付いていたからだ。伝統文化 とは洗脳する方法で、それに気づく人は永遠に社会に戻れなくなる。最近、アメリカやイギリスで育った中東(アフガニスタン、イラク、パキスタン)の子供た ちが両親と同じ価値観を持てない事を親が理解出来ず、親が自分の子供を殺害してしまうという事件がいくつかあった。サルマーン・ルシュディーはこれをテー マに小節を書いている。アンジェラ・カーターがイギリスに戻ると、イギリスも別の目で見るようになった。より客観的になり、ラディカルな表現をするように なった。

このヴィデオの出だしでは彼女自身が自分で朗読している。他にもyoutubeでは、アンジェラ・カーターの文書を声出して朗読をしている映像にしてアッ プしている人が何人もいる。また、映画になっている作品もいくつかある。日本でも発売されているニール・ジョーダン監督の『狼の血族 』もその一つ。その映像はとてもきれい。
https://www.youtube.com/watch?v=81uU7TXH3YE

アルツァイマーで亡くなって行く母を描いたJudy Collinsのこの歌

アルツァイマーで亡くなって行く母を描いたJudy Collinsのこの歌をyoutubeで発見した。2012年11月に発売したliveのdvdに入っている。ラフマニノフのピアノ協奏曲を若い頃にオーケストラと弾いていたJudy Collinsは73歳でも優れたピアノの弾き語りの演奏をしている。彼女のクールで客観的なストーリーの語りには心を打たれる。このような内容の曲はこのように歌われるべきだと思う。

簡単に意味だけを訳すと:
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彼女はほとんど自分の名前も分からない
彼女は眠る、たそがれ時に、
そして記憶は子供時代に戻って行く
音楽があった。。。常に

彼女が若い頃に、私の父と踊りに出かける時は、いつも綺麗な色の絹の服を着て
彼女のサテンのマントからシャネルの香りがしていた
彼女が生きている間に、20人の大統領も見ることが出来た
彼女はオバマに投票した

彼女は私の名前もほとんど分からない
たそがれ時に
一日中ほとんど眠り続けている
時々起きると、家に帰ると私に言う
『どうやって私をここで見つけたの、ここは私の家ではないの』
彼女の庭は草ぼうぼうになっている
彼女は家に帰ると私に言う
そして、たそがれ時に、両目が閉じる
『家はどこにあるの?』と私が聞くと
彼女は答える『それは秘密』
そして、庭の花のようにきえさった

She’s a lady and she barely knows her name now
In the twilight as she sleeps
And her memories chase her down the days of childhood
There was music…always music

She’s a lady she always dressed in silk and
Had her hair done
And her clothes were pretty colors
And the scent of the Chanel in her satin cloak
When she went dancing with my father
When they were very young
She’s a lady and saw nearly twenty presidents
And she voted for Obama

She’s a lady and she barely knows my name now
In the twilight
And she sleeps most of the day
And when she wakes up
She says that she’s going home and asks me how I knew where to find her
In this home that’s not her home
She sees her garden
Growing wild since she to leave the
Sweetness of those afternoons on her patio
Where Robert kept the flowers blooming
She’s a lady and she’s going home she tells me
As her eyes close in the twilight
I ask her where and she smiles and she tells me
It’s a secret
And then she’s gone
Just like the flowers
In her garden