Dance of Life はエドワード T.ホールの『生命の踊り』という本からインスパイアされた

ラテンの曲としてアレンジしたものをアップします。
この曲はサルサで使われる2-3clave と途中からボサノヴァのサンバのリズムになります。

Dance of Life はエドワード T.ホールの『生命の踊り』という本からインスパイアされた。
エドワード T.ホールは文化人類学者で、ある日ニューメキシコの公園の子供の遊び場を眺めていたら、それぞれの子供や家族のグループはそれぞれ別々のコミュニケーションのリズムをしているのがはっきりと見えてきた。ヒスパニックの家族は体の動きにも話し方にもあるリズムが見えた。アングロ・アメリカンの家族はそれとは全く違うリズムが見えてきた。コミュニケーションがうまくいっていると、その歯車がうまく回っている。それを見ながら、リズムとコミュニケーションに関しての一つの考えをまとめて本にした。

エドワード・T. ホールはたくさんの本を出している文化人類学者です。日本語に訳されている『文化を超えて』には次の説明文が書かれています。『文化の無意識的・非言語的領域に目を向ける重要性を説き、多様な文化が対立する現代に生きる人々に向けて、新しい共存のための見方を示唆』

僕は次の言葉を英語で作詞して、それに音楽をつけた。

Dance of Life by Ayuo
生命の踊り

これは時間にたいする感じ方のこと
生命の踊りでリズムをシンクロナイズする

私達が話し合うとき
私たちの神経は結びつく
動いている歯車のように
私たちの波動を合わせていく
それを生命の踊りに合わせてはめ、感じる

私たちはシンクロナイズしながら踊る
私たちのリズムはどうやって関係をつくっていくのか
地球のエネルギー幕の中で
時と空間を越えて
それを生命の踊りに合わせてはめ、感じる

時間は人生で役割を果たす
個人個人が一つに結びついて
一人一人のリズムの見えない糸は
隠れた壁によって孤立している
———-
Ayuo: ヴォーカル、ギター、シタール・ギター
Sara Yoko Benito: ヴォーカル
大熊ワタル:クラリネット
岡田由美子:ピアノ
岡田次郎:フレットレス・ベース
三浦智津子:ドラムス
さかたじゅんこ;キーボード

エピジェネティックスについて

二つ全く同じ遺伝子を持っているクローン人間を作って、50年立ってからその二つを出会わせると全く別のものになっている。
背の高さから、話し方から、その人達の多くのものは別々のものになっている。
IQや趣味や頭の使い方も違うかもしれない。
これがエピジェネティックス。
遺伝子研究で今最も重要とされている研究。
この下記のリンクで見られる科学ドキュメンタリーの映像の話し。

ジェネティックスというのは、その元の遺伝子を指しているが、エピジェネティックスというのはその使い方に指令を出しているもの。
ドイツ人もフィリピン人もアメリカに連れて行って普通の学校で15歳まで育てれば、一生アメリカ人になるという例がよくエピジェネティックスの説明に使われている。日本人の両親も子供を連れてアメリカの一般的な学校で育てれば、アメリカ人として育てる選択を両親が子供にしている。
エピジェネティックスは、環境がどのように遺伝子を変化させるかという事を研究する。
がん細胞にどう細胞が変化するか、または、がん細胞を正常の細胞に戻す研究も、エピジェネティックスの重要な研究。

遺伝子は筋肉のような元の素材を作って行く、どのような人間になるかは環境と生き方が決め手になる。
食物の種も、どのような環境の土で育てるかによって、育って行く食物が変わってしまう。

動物に例えると、アヒルは生まれて最初に見たものを母だと思い込むといわれている。
最近の研究では育った環境によって変化した細胞は、その次の世代にも伝わると研究されている。
しかし、その次の世代の細胞も、また新たな環境で育つと変化して行く。

これで昔のSF小説に出てくるようにいくら優れている遺伝子を持った人間のクローン・コピーを作っても同じものにはならない事が分かった。

この映像はアメリカで科学の番組を作っているSciShowが作ったもの。面白い近年の科学の発見を説明する映像をたくさん作っている。

日本語の科学的な説明:
http://ja.wikipedia.org/wiki/エピジェネティクス
http://en.wikipedia.org/wiki/Epigenetics

エピジェネティクス(英語: epigenetics)とは、一般的には「DNA塩基配列の変化を伴わない細胞分裂後も継承される遺伝子発現あるいは細胞表現型の変化を研究する学問領域」である。
多くの生命現象に関連し、人工多能性幹細胞(iPS細胞)・胚性幹細胞(ES細胞)が多様な器官となる能力(分化能)、哺乳類クローン作成の成否と異常発生などに影響する要因(リプログラミング)、がんや遺伝子疾患の発生のメカニズム、脳機能などにもかかわっている。

”民衆”という想像上のコンセプトにこだわりがある人ほど、生身の人間の事を分かっていない

”民衆”という想像上のコンセプトにこだわりがある人ほど、生身の人間の事を分かっていない。これが20世紀に起きた悲惨的な歴史が今生きている私たちに教えた事だ。60年代から70年代に生きていた私たちは、学校でも日常生活でも一日中政治的な議論に巻き込まれていた事が多かった。毛沢東思想、チェ・ゲヴァラ、等がカッコウ良く見られていた時代だった。しかし、よく見てみると、このような政治的な”戦い”をしているつもりの人が描く”民主”というのはオトギ話に出て来る王子様と似ている。人間が本来持っている複雑な個性を無視してしまう。そして、本来の問題を無視して、政治家や政治的な体制のせいにしてしまう。また、人間的な愛情よりも経済的な問題を重視してしまう。
一番危険なタイプは、どこかで覚えた政治的なドグマを南無阿弥陀仏のお経を唱えるように語る人かもしれない。考える事が麻痺してしまっている状態の人が多い。コンセプトや方法論の方が個人的な人間の問題よりも重要だと思い込み、目の前に行っている事が見えなくなってしまっている。フランス革命を起こした啓蒙運動の理想主義的な発想は20世紀のポル・ポトで、その幻覚的な部分を見せたはずだった。
あるイギリス人の知り合いの音楽家は、1975年に彼が学生だった頃に、ポル・ポトがカンボジアの政権を取ると、彼の作曲の先生コーネリアス・カーデューは生徒達と共にカンボジアの解放を祝う為に出かけた。そして、カンボジアの解放やポル・ポトを讃える曲等を作曲していてみんなで演奏をしていた。数年後、『私たちはいったいなんてことしてしまっていたのだろう?カンボジア民衆の解放という名で歴史的に最も酷い虐殺の一つを祝ってしまった』とカンボジアの悲惨的な状況を後でニュースで見ると語っていた。ポル・ポトも特に悪い事をしようと企んでいた人でもなかった。”民衆の戦い”というコンセプトの為に人生を捧げたつもりの人だった。ただ、彼の理屈で行動する結果が当時のカンボジアになった。このような結末になる事を未来の世代は忘れるべきではない。
今現在の世界状況を見て分析する事は重要な事だ、責任ある人間はみんなそうするべきだろう。世の中には、いろいろな見方があり、それぞれの人がそれぞれの意見に対してポイントがあるかもしれない。一つの見方をフォローしてしまう事が独裁政権を作ってしまう。あるいは宗教団体になってしまう。

Ayuo – Leave That Place! – 森のタイコ叩き The Taiko Player of the Forest

Words written by Ayuo
Music composed by Ayuo
Piano Version performed by Akiko Samukawa
A Version for String Quartet and Voice can be found here

Music for the two versions are different.

Excerpts from the words:

NOW I WENT TO A GOOD SCHOOL.
いい学校で
PROVED MYSELF.
成績もよく
GOT A JOB IN THE LAW.
弁護士にもなり
CAUSE I WANTED TO KNOW WHY I WAS TREATED LIKE THAT.
というのも むかしのいじめのわけを知りたかったから
SO I COULD ALWAYS FIGHT,
いまなら法律を味方につけて
WITH THE LAW ON MY SIDE.
いつでもたたかえるんだ
BUT I TOLD MYSELF,
でも ほんとうは
I AINT GOING BACK.
帰りたくない
GONNA LIVE THIS LIFE,
いまのくらしは
WITH THE BEST SUITS,
すてきなス―ツ
WITH THE BEST HAIR,
いかした髪型
WITH THE BEST LOTIONS.
ローションたっぷり振りかけて
SPENT HOURS DRESSING MYSELF,
着付けに時間かけ
LIKE A GOOD CULTURED MAN.
さあ センセイさまのできあがり
THOUGH I KNEW THEY WERE THINKING,
でもわかっている ひとの思っていることは
“HE’S FROM THE JUNGLE,
あいつは森からやってきた
PROBABLY LIVED UP A TREE,
木のてっぺんで
PLAYED THE BONGOS FOR A LIVING,
ボンゴたたいていた
LIKE THEY SHOW ON T.V.”
テレビで見たのとおんなじに
BUT I SAID TO MYSELF.
でも そうじゃない
“I’VE LEFT THAT PLACE.
あの場所をすててきたんだ
FOUND A BETTER LIFE.
ましなくらしも見つかった
LEFT THAT MUD.
あのぬかるみあから ぬけだして
FIND WHERE I CAN FIT.”
おちつく場所にいまは いる
BUT THE DRUMS KEPT POUNDING IN MY HEART.
それでもたいこは 心のなかでなりやまない
I WAS PROUD TO BE SO MODERN,
こんなにモダンで
LIVING THE LIFE WITH THE MOST SOPHISTICATED.
いかしたくらしだ
BUT THERE WAS SOMETHING I FELT IN THE AIR,
でも どう思われているのか
I KNEW THEY WERE THINKING,
きこえてくるよ
“HE’S NOT CIVILIZED,
あいつはよそもの
HE’S NOT ONE OF US.”
文明人じゃない
AND ONE DAY IN FRONT OF THE MIRROR,
ある日のことだ 鏡の前で
AS I SAT DOWN TO DRESS,
ドレスアップ
TO PUT ON MY LOTIONS,
ローション振りかけ
AND TO DO MY HAIR.
ヘアメイク
I SUDDENLY SAID,
終わらないうち 思わず口をつく
“I AINT DOING THIS NO MORE”,
ああ もういやだ
I RAN OUT OF THE HOUSE.
半分はだかで ボンゴをもって
HALF-NAKED WITH MY BONGOS.
おもてにとびだし
PLAYED IN THE STREETS,
通りでたたく
WHILE SOME OF MY FORMER FRIENDS,
通りかかった
STOOD IN SHOCK.
知り合いは絶句
WHILE THE OTHERS GRINNED,
でもしたり顔で
SAYING THEY ALWAYS KNEW,
わかっていたさ
THAT HE WAS ACTING IT OUT.
演技していただけ
NOW HE’S REVEALED HIMSELF,
いま正体をあらわした
SHOWING WHAT HE REALLY IS.
ほんとうの姿があらわれた と
BUT I SAID TO MYSELF.
だが そうじゃない
“LEAVE THAT PLACE,
さあ 出ていくぞ
FIND ANOTHER LIFE.
やりなおそう
LEAVE THAT MUD.
あのぬかるみからぬけ出して
FIND WHERE I CAN FIT.”
おちつく場所を見つけよう
BUT THE DRUMS KEPT POUNDING IN MY HEART.

(copyright JASRAC)

Full text can be seen at:
http://www.ayuo.net/lyrics.php?id=3
Filmed Live at Kouendouri Classics on November 27, 2011

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All Music, Poetry and Lyrics have copyright.
They are registered internationally by JASRAC

Words, Music, Illustrations, Photos, Articles, Lyrics by Ayuo
© Ayuo All rights reserved

 

 

What Is Freedom Today by Slavoj Zizek

Watch this video from the British newspaper, The Guardian. It’s about 5 min.
Here, Slavoj Zizek presents an interesting view about why there is so much nationalism, racism, and religious fundamentalism in the world today. These people are looking for a different kind of freedom. He also talks about ISIS.
Watch it and see.
I would have wanted to translate some parts of it into Japanese, but I simply don’t have the time now.

この写真に写っている黒人は女性のシンガー・ソングライターのジョニ・ミッチェル

http://jonimitchell.com/library/view.cfm?id=3274

人は何にでもなれる!この写真に写っている黒人は女性のシンガー・ソングライターのジョニ・ミッチェルである。アルバム[ドンファンのじゃじゃ馬娘]を出したヴィデオで黒人のポン引きの役で登場している。そして、完全にその役をこなしている。ジャズ界の伝説的な黒人ミュージシャン、チャールズ・ミンゴスはこれを見て、是非ジョニ・ミッチェルとコラボレーションをしたいと申し込んだ。プリンスは、このアルバムで聴けるようなジョニ・ミッチェルとジャコ・パストリアスのインタープレイに影響を受けた曲『So Blue』をデビュー・アルバムに収録している。
人間の肉体や筋肉の動きは二人の両親から来ていて、それとは別に、人の文化的な感覚は育った国の社会や時代によって作られる。しかし、他人は勝手に作り上げたイメージを常に人に押し付けてしまう。両親から伝わった筋肉の動きの限界と可能性も分かりながら、人が押し付けるイメージから自由になったところで、自分の可能性が広がっていく。
ミュージシャンのルー・リードはかつて言っていた『You could be anything. I learned that from Andy Warhol.』(人は何にでもなれる。その事をアンディ・わーホールから学んだ。)joni-mitchell-as-a-black-pimp

チリのシンガー・ソングライター、ビクトル・ハラを1973年のチリのクーデタの日に拷問してから撃ち殺したチリの軍人がフロリダで捕まった

https://www.theguardian.com/world/2016/jun/27/victor-jara-pedro-pablo-barrientos-nunez-killing-chile

チリのシンガー・ソングライター、ビクトル・ハラを1973年のチリのクーデタの日に拷問してから撃ち殺したチリの軍人がフロリダで捕まった。フロリダの裁判官はハラの未亡人と二人の娘に2800万ドル払うようにと言い渡した。しかし、捕まった元軍人のバリエントスは南米からアメリカに渡った貧しい移民で長年ファスト・フードのコックのアルバイトだけで生活をしていて、ほとんどお金がない移民の労働者だ。バリエントスはコミュニストが嫌いで、フロリダの裁判では、多くの人が彼の責任でビクトル・ハラは殺されたと証言した。チリでは彼以外に8人の元軍人が、1973年のチリのクーデタの日に違法的な殺人をしたという罪で指名手配 になっている。
権力を持つとサディストになる人間が多くいる。1930年代のスターリン時代のソ連では、そうした人間が交互に殺しあうようになった。KGBの前身NKVDの長を務めたニコライ・エジョフ-は自分の権力を使い、多くの人を拷問して楽しんだ。バイセクシュアルだったため、男も女も少年も少女も捕まった。ソ連についてのドキュメンタリーで、エジョフの娘が、父親のオフィスでかくれんぼを遊んでいた5歳の時に、拷問されている人間の写真集を見てしまって、ショックを受けてしまった時の事を語っている。『あんなにやさしいパパなのに、どうしてこんな面があるのだろう』と語っていた。しかし、大量の粛清によって国家や経済が機能不全になるとエジョフ本人も拷問されて殺され、その後継者、ベリヤも同じく権力を使って拷問、強姦、殺人をゲームのように楽しむ人だった。1934年から1939年の間にソ連の共産党員の80%がこのように殺されたと書かれている。それは、上からの命令だけではなく、ソ連で権力を一時的に持った人間が交互に殺しあっていた事が、今歴史を再確認すると見えてくる。
アンジェラ・カーター、スティーブン・ソンドハイム等多くの文学者にも影響を与えたユダヤ人の心理学者ブルーノ・ベッテルハイムはオーストリアのユダヤ人だったため、一時的にナチスの収容場に入れられていた。そこで、気が付いた事は、インテリや知識人が一番イジメを受けるという事だった。看守をしている人は労働者階級出身の人が多く、労働者階級出身の人は他の同じく労働者階級出身の人達を仲間として扱う。もしも、コミュ二ストとして捕まったとしても、多くのナチスの人達には元コミュ二ストだった人達も多かったから、間違った道のままにいたと解釈するだけだった。しかし、学校の先生などの知識人にはべつの態度を見せていた。そうした人に対しては、普通のユダヤ人に対してよりも最もサディスティックになってしまう、とユダヤ人のベッテルハイムは書いている。
ナチスにとっても、文革革命の中国の紅衛兵にとっても、ポル・ポトのクメール・ルージュにとっても、まず知識を持っている人が一番の敵だった。
右翼でも左翼でも過激な宗教からも、このような事件は起きる。そして、そういう時に、イジメを楽しむ人の言う”理想的な信念”は単に言い訳になってしまう。こうした事を心理的に研究してからこそ、未来に変化を作れると思う。

文化的な違いの見えるところと見えないところ

文化的な違いの見えるところと見えないところ。言語、食べ物、文学、芸術、服装、民間伝承などは見えるところにある。しかし、言葉で説明されないもの、信念、人が当たり前だと思っているところに、本当の違いがある。そして、外から来る人にとっては初めのうちは見えていないものが多い。国際関係を研究する人達の為に作られた氷山の絵。

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映画監督ラース・フォン・トリアーについて

映画監督のラース・フォン・トリアー(ビョーク出演の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』やニコール・キッドマン出演の『ドッグスヴィル』)はほぼ僕と同じ世代である。彼の映画を見ると同じように感じるところがたくさんある。
彼の母親はコミュニストだった。母親は芸術家の子供を作りたいと思い、その考えで、デンマークで有名な作曲家、Peter Emilius Hartmannの子孫と子作りの為に不倫をした。まるで、フランケンシュタインが怪物を作ったように遺伝子から決めて作った。そして、1960年代の左翼がし始めていたような”自由”の教育を始めた。考え方を押し付けずに”自由”に育てれば、自然に母親の思うような芸術家になってくれると考えた。トリアーは、母親の考えの事実が分かってから、うつ病になってしまうことが増えた。そして、彼の映画の独特な女性の描き方や”理想”を見ている人が裏切られて行くタイプのストーリーは、彼のこの育て方に影響されていた。
僕の学校で教育の責任を持った世代はほとんど左翼だったから、それがどのようなものだったかは体験者として理解できる。
私たちの世代に左翼の議論の仕方やエッセイの書き方を受けついでいても、その語っている内容は全く受け継いでいない。トリアーにも、それがはっきりと見える。また、トリアーの戯曲作家ブレヒトからの影響の使い方に、それが見れる。ブレヒトは”民衆を教育する”為の客観的なシアターの方法論を作った。ブレヒトにとって、それはアンチ・ワグナーであり、アンチ・ホリウッドの民衆の為の芸術であった。トリアーは、子供の頃からブレヒトを聴かされていて、その演劇論以外に、『ドッグスヴィル』ではブレヒトと作曲家のクルト・ワイルの『海賊ジェニー』の歌の内容からも影響を受けている。しかし、ブレヒトの20世紀の共産主義的な考え方は取り入れない。『ドッグスヴィル』はブレヒト的なセットだと言われている。いかにも空白な映画セットにチョークで、誰々の家、庭、、犬、と指示が書いてあるまま映画が撮影されている。ニコール・キッドマンやホリウッドの伝説的な女優、ローレン・バカールが、そこで見事な演技をしている。演技があまりにも見事で、それだけでも映画の世界にワグナー的に飲み込まれてしまう。
『ドッグスヴィル』のストーリーの内容は、理想主義的な考え方に燃えている女性が、ドッグスヴィルというアメリカの田舎町に来る。時は1930年代。大恐慌の最中だ。当時は、ウディ・ガスリー等が労働組合や政治的な集会に回って歌を歌い、多くのインテリはスターリンに憧れていて、スターリンのスタイルの共産主義が理想に見られていた。『ドッグスヴィル』のストーリーは、いかに”民衆の為に”と考えている一人の人間が、その理想の為に傷付いて行き、理想と逆の結果を作ってしまうという事を描いている。こういうストーリーを描ける人は1960年代や1930年代にあった20世紀のコミュニズムの理想主義を見ていて、そうした思想の本を読みつくした上に、それに傷を付いていなければ描けない内容だ。だから、私たちの世代の代表的な芸術だと思う。これと映画『マンダレイ』は3部作の第一作目と第二作目として描かれている。そして、両方の映画はデヴィッド・ボウイの曲『ヤング・アメリカン』で閉じる。僕はトリアーの映画の音楽の使い方はいつも見事だと思っているが、この二つの映画で歌われている『ヤング・アメリカン』のの歌詞の内容と映っている映像のシンクロは本当にさすがである。今度、歌詞を見ながら、映像を見てほしい。『マンダレイ』では、理想に燃えた女性が、アメリカの南部で未だに奴隷の生活をしている黒人達に出会い、彼らを解放をして、民主的な生活に教育しようとする。しかし、彼女が頭の中で描いていた”民衆”と実際は全く別のものだと気づいていく。そして、自分も矛盾した奴隷主のような行動もとってしまう。人間の心理と実際の現実で行う事を描いているドラマだ。見ている人は、その語られている内容に反発を覚えるかもしれない。しかし、考えさせる事が一つの重要な目的でもある。
”自由な教育”とは何か?そして、どういった結果を生んだか?哲学者のスラヴォイ・シジェックは、『自由にしてよい』という事は一つの命令を出すよちも独裁的に聞こえる場合があるとよく語っている。このような例を出している。親が『おばあちゃんの家に行きなさい』と言ったとする。これは一つの命令なので、反発する事が出来る。しかし、『おばあちゃんの家に行った方がいいと思うよ。喜ぶ姿を見たいだろう。』これには、一見自由を子供に与えているように外からは見える。しかし、本当は後で『だから、言っただろう。おばあちゃんの家に言った方がいいよと。君は全くしょうがないのだから』と言われるような準備である。つまり、反発をする自由をうばった上に、喜ぶ姿を自分で喜ばなければいけない。だから、人にとっては、反発が出来るというのが自由であったりする。これは、僕が”自由な教育”をしていたつもりの左翼から感じた事でもある。
例えば、スターリンの時代で、スターリンの意見に対して反対したものは強制収容上に送られると知られていた。しかし、スターリンの意見に反対する事を言ってはいけないと表現した人の方が、先に消されてしまう。それは、ソ連という社会主義諸国が”自由”であって、みんなで決めているという幻想が消えてしまうのを防ぐためだからだ。
議論の仕方を覚えるというのは重要な事である。独立した考え方の仕方を覚えるからだ。しかし、独立した考え方が今度、その左翼の考え方に対して向けられる事になる。『知らざれる毛沢東』という本を発表した『ワイルド・スワン』の作家は元々は文化大革命の最中、紅衛兵だった。毛沢東に対する批判の仕方は紅衛兵が鄧小平等が資本主義の道に走っているという批判を書いていた時と同じアプローチを取っていると書かれている文芸評論が出ていたのを思い出す。元ユーゴスラビア社会主義連邦共和国のスロヴェニアの哲学者スラヴォイ・シジェックは、チト大統領の時代で最も忠実そうに見えた芸術家達がユーゴ崩壊以後に最もチト大統領時代の人たちに対して批判的になったと書いている。しかし、その批判の仕方の方法論には社会主義の時代に学んだ、批判の仕方と議論の方法が入っている。トリアーのブレヒトの使い方も、このように、プレゼンテーションの仕方にはブレヒトの影響が見えるが、語っている政治的な内容社会に対する意見は、その時代の間違いを見て、それを超えたものになっている。私たちの世代の考え方を代表していると思うのは、こういうところにもある。
トリアーのカフカからの影響も、同じように独自のものになっている。カフカは父親に虐待を受けて育った人であり、カフカの文学に出てくる”体制”には父親とのイメージが重なっていると分析されている。だから、カフカを使う人には、父親との問題を”体制”や政治的な問題にすり替えて語る人も多い。トリアーはブレヒトの使い方と同じように、カフカの技法的な部分に影響を受けている。それは映画監督ウエルズがカフカから学んだ方法論でもあった。トリアーの場合は自分自身をを女性として描く事が多い。映画の女性のキャラクターを通して自分の考えを語る。母親との問題でトラウマになった内容や、彼が現代社会に感じている問題は、彼の映画では女性のストーリーとして描かれる。
トリアーの作品にはブラック・ユーモアが見れる。あまり、シリアスに考えてしまうと、笑えるところがかなりある事を見逃してしまう。『メランコリア』という映画は、地球の終わりで、映画が閉じるが、哲学者のシジェックは非常にオプティミズムにあふれた映画だと語っていた。人間の描き方にそう感じさせるのだ。ビョークの出演している『ダンサー・イン・ザ・ダーク』も一見暗そうな映画に見えるが、トリアー独特の描き方を知っている人には、そのユーモアの感覚が伝わってくる。僕にとっては、ロックのザ・キンクスやピンク・フロイドのザ・ウォールの歌詞やコメディー・グループのモンティ・パイソンにも通じるところがあると思った。
トリアーは影響を受けたアーチストにデヴィッド・ボウイとリヒャルト・ワグナーの名前を語っている。彼の映画『メランコリア』は、映画の全編の2時間に使われる音楽はワグナーと『トリスタンとイゾルデ』である。そして、クレジットの時に同じ『トリスタンとイゾルデ』の第三幕の”愛の死”のテーマが流れる。素晴らしい音楽の使い方だった。僕も同じ時代にこの『トリスタンとイゾルデ』の前奏曲を僕の音楽劇の作品『ハワイの女神ペレ』でアレンジして使っていた。その為に、この映画を見たら、何て自分の表現したいところと近いのだろうか、と思ってしまった。
トリアーの世界に触れたかったから、まずこの『メランコリア』と『ドッグスヴィル』を推薦する。
文書:Ayuo Takahashi

Prince の映像作品The Beautiful Experienceについて

6月7日はプリンスの誕生日。これは1990年代の半ばのプリンスの自信作、『The Gold Experience』と『Come』の曲をまとめて一時間の映像作品として当時発表したもの。全曲ヴァージョンがyoutubeにアップされていた。『The Gold Experience』の宣伝プロモーションにレーベルのワーナーがあまり力を入れなかった事からプリンスとワーナーとのトラブルが始まった。プリンス自身は、この頃、彼の音楽や人生に対する考え方もまとまって来ていて、ワーナーがそれに理解を示さなかった事にイライラしていた。
CD『Come』には、多くの人が共感したという『パパ』という曲が入っている。また、この曲にはプリンスの個人的な体験が入っている、とよく書かれている。プリンスの両親は二人共音楽をやっていた。父親は昼間は会社で働き、夜はジャズ・ピアニストだった。両親は二人共、自分達のやりたい事でいっぱいだったので、プリンスは無視された子供時代を過ごした。シャイな少年で、背が低く、てんかん発作もあったので、学校ではイジメにあっていた。しかし、十代半ばでは一人、様々な楽器を演奏する能力を一人で身につけて、作曲、アレンジ、ヴォーカルも全部出来ていた。一人で練習し続けた結果だった。
プリンスは思春期になると母親が彼にプレイボーイやヌード雑誌を渡して、『これでも研究しろ』、と言ったとプリンスはインタビューで語っている。これでプリンスは人とは少し変わった性のとらえ方をしている。人にとって、それは、救いにもなった。シーラ・E、(パーカッション、ヴォーカル担当)は子供の時に性的な虐待を親戚から何度も受けていた女性である。十代になると、怒りがあった上に、そう女性性を現したら良いかに困っていた。1980年代にプリンスと一緒に演奏していた頃は、自分でわざと過激な衣装をデザインしていた。そして、ステージで演出するキャラクターと自分の本来のペルソナを分けていた。最近、音楽が彼女にとって救いだったという本を発表した。そこでは、プリンスとの出会いも一つの救いだった事をかなり書いてある。しかし、シーラ・Eの十代の女性ファンがコンサート会場に、彼女が着るような過激な衣装で現れ出したら、彼女もそうした衣装を止める事にした。十代だと男性の事がまだ分からない人も多く、自分が幼児時代にあった危険性に他の人が会って欲しくないと強く思っているからだ。彼女の本では、『性的な虐待を子供の頃に受けた人は、必ず誰かに相談してください』、という章でまとめている。
『パパ』という曲は、『子供を虐待するのではないよ、子供を虐待すると、この僕のようになるからね!』という歌で閉じる。下記のような経験をしている人も多くいるだろうと思います。この曲はカラオケ・トラックもネットではすぐに見つかるプリンスの曲の一つである。
また、The Gold Experience』と『Come』には名曲が入っている。『Diamonds and Pearls』から始まったNew Power Generationの延長である。
パパ by Prince 翻訳:Ayuo Takahashi
(この映像では45分40秒から始まっている。他に『Come』という曲が9分20秒から始まっている。そして、ヒットになった『The Most Beautiful Girl In The World』は49分30秒から始まっている。28分からよりロック・テイストのジャムが始まる。)
ある9月の日、パパは疲れていた、
庭のタンポポをつぶしていたら、子供に気が付いた
4歳の子供に、『通り過ぎる車に石を投げるのではない』、と怒鳴った
子供はすぐに言う事を聞かなかった。
パパは子供を持ち上げて、押入れの中に放り込んだ。
子供は『もうしないからゆるして』と叫んだ
パパは『二度としないように教えてやる』と言った
バシン
オー、パパ
バシン、バシン
(と殴った)
そして、押入れのドアが閉まると子供は泣いた
『押入れに閉じ込めないで、説明して!』と子供は言った
パパは、そのまま外に行って、ライフルを空に向けて
『どうして、あの女をもう愛せなくなったのだろうか?』
そして、銃を向けて死んだ。
バーン。
パパ
バーン、バーン
(銃の撃つ音)
子供を虐待するのではないよ、
子供を虐待すると、この僕のようになるからね!
私達、みんな、どこかに痛みを持っている
どんなにクレイジーなっても、一つ言える事がある
誰かを愛していれば、生きてて無駄ではなかった
激しい雨の後には、必ず虹がある。
上記の映像は消去されていました。
抜粋された映像が次のところにあります。
Come の映像はこちら: