弦楽四重奏に短くアレンジしたワグナーの『Siegfried Idyll』

数年前に、弦楽四重奏に短くアレンジしたワグナーの『Siegfried Idyll』。19世紀の作曲家で最も好きな一人。この曲はピアニスト、グレン・グールドの編曲したヴァージョンも好きだった。この時は、自分の作曲した組曲の最後にこのアレンジしたヴァージョンを入れた。新年に聴くのにぴったりの感じがする。
Happy New Year!
Hope For The Best In 2016!
こちらの演奏者は:
甲斐史子: Violin
大鹿由希: Violin
宮 野亜希子:  Viola
松本卓以: Cello

これはドビュッシーの 《6つの古代のエピグラフ》の一曲目

こちらも弦楽四重奏とのユニットで定期的にコンサートをやっていた時からの曲。自分の作曲した作品と共に、ドビュッシーやワグナーの曲を、僕がアレンジしたものもやっていた。
これはドビュッシーの 《6つの古代のエピグラフ》の一曲目。オリジナルは室内楽作品として詩人のピエール・ルイスの詩の朗読と共に演奏された曲だった。全体のタイトルは室内楽のための『ビリティスの唄』。この一曲目のオリジナルのタイトルは『夏の風の神、パンに祈るために』。後になって、この『ビリティスの唄』からのいくつかの曲を長くして、ピアノ曲の《6つの古代のエピグラフ》にした。
数日前にプロデューサーの宮田 茂樹さんのFBのページで『初めてサティを知ったのはThe Blood, Sweat and Tearsでしたけどね』と書いてあったが、僕もそうでした。ドビュッシーは富田勲、ワグナーとラヴェルはリンゼイ・ケンプ・カンパニーで最初聴いたと思う。家でクラシックがかかる事は子供時代にはなかった。文学や哲学を僕が研究するようになった時に、こうした作曲家の作品を、その文学的なルーツから研究するようになった。
こちらの演奏者は:
甲斐史子: Violin
大鹿由希: Violin
宮 野亜希子:  Viola
松本卓以: Cello
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『ビリティスの唄』よりの抜粋 (ピエール・ルイス作詞)
『鳩』 より (翻訳は岸田今日子)
ずっと永いこと、わたしは美しかった
も う女ではなくなる日が来たのだ
そして 知ることになるだろう
胸張りさける想い出のかずかず
燃えさかる孤独な欲望と 手に落ちる涙 とを
もし 人生が長い一つの夢だというなら
それに逆らってどうなろう
こ腰の疲れ果てる時
体が崩れ落ちたところに 眠り込む
朝が来て まぶたを開き
わたしは髪におおわれて身震いする
一羽の鳩が窓の所に所に止まっている
今は何の月かと わたしは たずねる
彼女は答える《今は女が愛する月》
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これは晩年のビリティスの唄。
ビリティスは紀元前六世紀の初めころ、ギリシャのある一山村で生まれました。生 まれた地方はタウラスの巨大な山々が聳え立ち、深い森に蔽われ、もの悲しい幽遠な地であります。そこで、彼女は母や姉達と静かな生活 を送っていました。樹々におおわれたタウラスの山肌には、牧童たちが羊の群れを追っているのが見えました。ビリティスはよ く森の妖精と話をしていましたが、その姿はは見ることはなかったようです。
その田園生活は一つの恋によって、悲しい終わりを告げました。ビリティスはもう二度と生まれ故郷には戻りませんでした。旅に出て、最 後にはキプロス島にたどり着きました。彼女は愛されることを止めた日、書くことも止めてしまった、と自ら云っています。
『ビ リティスの唄』は、そのビリティスの生涯をを唄で語ったものです

音楽専門学校を卒業した人は態度が悪いから、仕事には雇わないという制作会社が増えている

何年も前から、音楽専門学校を卒業した人は態度が悪いから、仕事には雇わないという制作会社が増えている。ここで、一つの例を出します。ある音楽専門学校を卒業した生徒が助手のアルバイトとして、戻ってロックのアンサンブル・クラスでレッド・ツェッペリンやジョニ・ミッチェルの『ウッドストック』やレナード・コーエンの『ハレルヤ』をバイト代をもらいながら、助手として雇われる事になった。ところが、完全なリード・スコアがなければ、安いバイト代では、自分で音源を聴いて音を取りたくない、と言い始めた。(コード譜やタブ譜は渡されてあるので、何もないわけではない。)ロックでは、音源を聴かなければ、そのフィーリングは伝わらない、と語っても、’プロ’のミュージシャンはリード・スコアを見ながら、演奏するものだと信じているようだった。クラシックを勉強した事しかない生徒だったら、パート譜をアレンジして、教える事が親切だと思うが、卒業生のバイトの人がこのような事で良いのか?
リーダーのやり方をフォローするという事が出来ないようだ。そして、5拍子の曲等は弾くのが面倒くさそうな顔で、文句を言いながらやってしまう。先生が譜面をコピーしに行っていないと、文句と世間話しを始める。
以前に、ある音楽制作会社で、『コピーして来ますよ』と音楽専門学校を卒業したバイトの人が言って、音を耳でコピーしたのではなく、コピー機でどこかの譜面をコピーして来た、話しを聞いた事がある。びっくりされて、その人はくびになった。
これだけ音楽業界が厳しくなっている中、実際の制作会社のやり方や、バック・ミューシャンをやる時のマナーを学ぶ方が良いのではないか?

ジョニ・ミッチェルが大学院の哲学科で Plato (プラトン), Existentialism (実存主義) , と Urban Development (都市開発)を助教授という立場で教えたいという申し込み書を出した

http://jonimitchell.com/library/view.cfm?id=3191

シンガー・ソングライターのジョニ・ミッチェルが最近大学と大学院の哲学科で Plato (プラトン), Existentialism (実存主義) , と Urban Development (都市開発)を助教授という立場で教えたいという申し込み書を出した。こちらのリンクに彼女自身が書いた申し込み書が載っている。ジョニ・ミッチェルの歌から生き方の哲学を学んだ人々が世界中にいる

大学や専門学校での生徒たちが’お客さん’になってしまっている事が日本、アメリカ、イギリスでも最近大きな社会問題になっている

https://www.theguardian.com/higher-education-network/2015/dec/18/my-students-have-paid-9000-and-now-they-think-they-own-me?CMP=fb_gu

大学や専門学校での生徒たちが’お客さん’になってしまっている事が日本、アメリカ、イギリスでも最近大きな社会問題になっている。今の少子化の時代にサヴァイバルするために学校のレヴェルがどんどん下がっている。また、生徒たちがイバり出して、先生たちに今までではあり得なかった要求をして来る。それは’お客さん’だと思っているからできる事だが、本当はその生徒たちが社会でやっていけなくなる人達になるので、損をしてしまうのは、大きな口で物事を言った生徒たちである。わがままを通してしまう生徒たちが世の中に増えると社会が沈んでしまう。何もできない人達が増える一方になる。生徒たちからアンケートを取ったり、意見を聞き入れるのも程度がある。先生は昔のように絶対的な立場をとるべきで、試験等のシステムをもっとちゃんとやるべきだという考えが増えている。
学校をビジネスにするのはおかしい事で、もっと国やお金持ちが社会のために協力して、レヴェルを再びアップするべきだという声が上がっている。
これは英国新聞The Guardianの記事。イギリス人の友人からのシェア。昨日、レッスンから帰って、ファイスブックを開いたら、これが目に入った。

Broken Guitar.jpg

火曜日に町田のレッスンが終わって、渋谷に向かう途中、駅でギターを落としてしまった。コンクリートにぶつかって、ネックが折れてしまった。ギター修理をしてくれている昔からの知り合いに電話したら、『今、生活たいへんなのでしょう、使っていないナイロン弦のギターがあるからあげるよ』と言ってくれた。すごくありがたく、良い人に巡り会えていて嬉しかった。
しかし、このギターは1989年から使っていて、今までナイロン弦を使う時は、いつも使っていた。この最近のライブや録音もこのギターの音だった。今の姿を見ると『いたいよ』と言われている気がして、なんとか強烈なセメントで直す事は出来ないだろうか、と思っている。