”民衆”という想像上のコンセプト

”民衆”という想像上のコンセプトにこだわりがある人ほど、生身の人間の事を分かっていない。これが20世紀に起きた悲惨的な歴史が今生きている私たちに 教えた事だ。60年代から70年代に生きていた私たちは、学校でも日常生活でも一日中政治的な議論に巻き込まれていた事が多かった。毛沢東思想、チェ・ゲ ヴァラ、等がカッコウ良く見られていた時代だった。しかし、よく見てみると、このような政治的な”戦い”をしているつもりの人が描く”民主”というのはオ トギ話に出て来る王子様と似ている。人間が本来持っている複雑な個性を無視してしまう。そして、本来の問題を無視して、政治家や政治的な体制のせいにして しまう。また、人間的な愛情よりも経済的な問題を重視してしまう。
一番危険なタイプは、どこかで覚えた政治的なドグマを南無阿弥陀仏のお経を唱えるように語る人かもしれない。考える事が麻痺してしまっている状態の人が多 い。コンセプトや方法論の方が個人的な人間の問題よりも重要だと思い込み、目の前に行っている事が見えなくなってしまっている。フランス革命を起こした啓 蒙運動の理想主義的な発想は20世紀のポル・ポトで、その幻覚的な部分を見せたはずだった。
あるイギリス人の知り合いの音楽家は、1975年に彼が学生だった頃に、ポル・ポトがカンボジアの政権を取ると、彼の作曲の先生コーネリアス・カーデュー は生徒達と共にカンボジアの解放を祝う為に出かけた。そして、カンボジアの解放やポル・ポトを讃える曲等を作曲していてみんなで演奏をしていた。数年後、 『私たちはいったいなんてことしてしまっていたのだろう?カンボジア民衆の解放という名で歴史的に最も酷い虐殺の一つを祝ってしまった』とカンボジアの悲 惨的な状況を後でニュースで見ると語っていた。ポル・ポトも特に悪い事をしようと企んでいた人でもなかった。”民衆の戦い”というコンセプトの為に人生を 捧げたつもりの人だった。ただ、彼の理屈で行動する結果が当時のカンボジアになった。このような結末になる事を未来の世代は忘れるべきではない。
今現在の世界状況を見て分析する事は重要な事だ、責任ある人間はみんなそうするべきだろう。世の中には、いろいろな見方があり、それぞれの人がそれぞれの 意見に対してポイントがあるかもしれない。一つの見方をフォローしてしまう事が独裁政権を作ってしまう。あるいは宗教団体になってしまう。

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