ビル・ブルフォード (ビル・ブラフォード)インタビュー

ビル・ブルフォード (ビル・ブラフォード)インタビュー
Bill Bruford Interview – February, 2001

これはタワーレコードのフリーマガジン、INTOXICATEやMUSEEのためにAyuoが取ったインタビュー。当時、雑誌に載ったのは新譜の話しを中心としたCDのプロモーション用のインタビューの部分だったが、実際は一時間も長いロング・インタビューを取っている場合が多かった。そして、その話がとても面白い。また、このようなインタビューのテープはたくさんあった。一冊の本がインタビューで埋まってしまうほどあった。それを次々と聴き起こして出版できるように用意をしている。

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イエスや、キング・クリムゾン、ブラッフォードというバンドを聴いてきた私と同じ世代の人達にとって、ビル・ブルフォードは、いわば伝説、である。だから、彼を取材することはとても大切なことだった。彼は、イエスの『Fragile (こわれもの)』や『Close To The Edge(危機)』といったアルバムでは、作曲のアイデアという点でとても重要な役割を果たしていた。やがて、キング・クリムゾンで彼のドラムのスタイルを固め、1970年代後半では作曲やジャズ色の強い彼自身のアルバムを制作し始めた。1986年、彼は当初、ジャンゴ・ベイツ、イアン・ベラミー、ティム・ハリスとアースワークスを結成した。1990年代のイエス、キング・クリムゾンの再結成に参加した後、1997年にはエディ・ゴメズ、ラルフ・ターナーとジャズ・トリオをレコーディング、以来彼は、生楽器にこだわったジャズのスタイルに戻って行った。1998年、彼は新しいメンバーとアースワークスを再結成した。彼自身によれば新たなアースワークスは、ビル・スチュアート、(パット・メッセニー・トリオのドラマー、彼の『Snide Remarks』はビルに大きな影響を与えたと認めている)とデイヴ・ホランド・クインテットの間に位置付けられているという。以下の収財は、2001年の2月、アースワークスの3日間にわたる東京公演中に行われた。

———-ドラミングと作曲について————-

Ayuo: 最近のあなたの演奏は、どんどん変化しながら進化していますね。

Bill: もっとジャズの要素が強くなった。アコースティックで、もっと自由なプレイができるようになった。

Ayuo: 常に何か変化しているような音楽だった。それを全部見ながらディレクションをだしていた。60年代の初期のヴィレッジ・ヴァンガードといった場所で演奏されたジャズのような刺激がありました。

Bill: そう願いたいね。刺戟的じゃないと。よく知られた古典的なジャズ・カルテットのサウンドだからね。だからいかにこうした音を料理し、ちょっとした違いを何で作り出すかということが面白いんだけど。変拍子とリズミックな素材を使ってみているんだけ、このジャンルでは普通じゃないと思うんだ。

A: 昔から独自のスタイルを持っていたと思うのですが、最近でのアースワークスでのドラムのスタイルはアースワークスの最初の時期とも違いますね。その頃は、もっとリズムのグルーヴ感が主張されていた。ファンク・グルーヴが多かった。しかし、そこでも独特のフィルを入れていた。

B: その通り。でも一番大きな違いは、最初のアースワークスではエレクトリック・ドラムを叩いていたことだ。エレクトリック・ドラムは面白いが、叩くスタイルも作ってしまう。それをもう何年もやって来たから今はアコースティックで叩きたい。

A:とてもメロディアスでもありますが、それはエレクトリック・ドラムと関係があるのでしょうか?

B: もちろん。ドラマーがメロディーを奏でるというアイディアはとても気に入っているんだ。とくにマックス・ローチなんかね。アースワークスの最初の3枚ではドラマーがパッドでコードを叩いて、コード進行をリードすることもできた。. “Bridge of Inhibition”, Strombolli licks”, “Pilgrim way.” メロディーをドラマーが叩けるというのは最高だった。しかし、技術的には流行遅れだし、難しく、不安定なんだ。今は聴きたいメロディーを5線譜に書いて、それを演奏してもらう。
A: 今まで、この最近ほど細かい演奏をしていた時期はあったでしょうか?パーカッションの要素も入っているし。

B: そうだね。それも全てワン・テイクで録音している。多重録音はしていない。一曲、一曲がドラムのための作品でもある。

A:初期のアースワークスでは、ジャンゴ・ベイツや、イアン・ベラミーが大半の作品を書いていたわけですが、今回、ほとんどがあなたの作品ですね。
B:ジャンゴ・ベイツや、イアン・ベラミーは素晴らしい作家だよ。最初の頃は、シモンズのドラムキットで、リズムのフレーズを作りたかったんだ。だから、『俺はこれをやるから、君らは好きなことをやってよ』なんて言っていたんだ。今では、シモンズのドラムキットもないし、結局は全ての音楽を書いている。もし,
改善や訂正をスティーヴ・ハミルトンが必要とするなら、彼のクレジットも加えている。

最近は面白いリズムのアイデアがたくさん思い浮かぶ。ドラムのタイミングも大丈夫そうだ。メロディーを書くのも好きだ。今回のアルバムにはいいメロディーを書けたよ思っている。和声楽についてもオーケーだが、スティーブはもっと複雑なコード進行にしてくれることもできる。特にバラードでは、その方が良かったりする。ソフィスティケートされたジャズのハーモニーに。この部分が僕の弱いい部分だ。

A: 最初のソロ・アルバム、『It Feels Good To Me』のライナー・ノーツで、これらの曲が初めてピアノの前に座って書いた曲だと書いていましたね。
B:それは本当だ。
A:そして、時間がだいぶかかったと書いていましたね。
B: ピアノはあまり上手ではないからね。 それでも、少しづつ良くなっている。
A:今でもピアノで作曲しているのでしょうか?
B: そうだね。新しいアルバムでは、全曲ピアノで書いたんだ。それからラフなデモをMC-500で作った、ミュージシャンに聴いてもらうのにね。それから、今度は、コンピューターに接続して、シベリウス音楽ソフトを使って、スコアにするんだ。そうしてリハーサルをした。議論し、多少変更した。二度目の草橋を作り、リハーサルをもう一度。さらにミュージシャンから意見を聞く。三度目の草橋を仕上げる。これで終わり。リハーサルをやって、ツアーに出る。イギリス国内20都市のツアーをやって、3-4日かけてCDを作る。
A: 近年のイギリスのジャズ・シーンはいかがでしょうか?
イギリスのジャズ・シーンの問題はイギリス人そのものにあると思うね。多くのイギリスのジャズ・ミュージシャンは未だに自分たちはinferiorだと思っている。アメリカの黒人のプレイヤーにかなわないと思っている。でもその中には世界の一流のプレイヤーもいる。彼らの心が小さすぎる。日本と同じように私たちが島国だからかもしれない。そし音楽的にてアメリカの影に生きてしまう。文句を言いながら過ごす人もいる。アースワークスのいいところは、僕はいいミュージシャンをイギリスの外に連れ出して、進化出来る状況を与えられることだ。東京、ロス・アンジェロス、リオ・デ・ジェネロ、や他の場所にも連れて行ける。そうして耳を開かれるようになり、どんどん良いミュージシャンになって行ける。僕はまだ固まっていない若いミュージシャンと演奏するのが好きだ。だから、お互いにとっても良い。

————ワールドミュージックとアースワークス———–

A: 『Bridge of Intuition』とか、新たなアースワークスのアースワークスの最初のアルバムから昨晩演奏された作品には、バルカンのジプシーのメロディーを使っていましたね。

B: その通り。今回のアルバムのThe wooden man sings and the stone woman dances だね。ジャズの演奏家と聴き手はいつもダンスで結びつけられていたんだけど、それが、ルーマニアのダンスだ、ということなんだ。

A: つまり、ルーマニアのジプシーの音楽をよく聴かれているってことですか?

B: ああ。でもひとつのことにしか関心がないってわけじゃないよ。だって、いろんな音楽が聴こえてくるでしょう。日本の太鼓もあるし、ブラジルのサンバ、ルーマニアのジプシー、それにアートロックも。全てがアースワークスから聴こえてくる。我々はいろんなところの音楽を利用しているんだ。イギリス人であるたった一つのいいところは、我々が我々自身のリズム文化を持たない、ということ。イギリスのリズムなんて、最悪さ。だから、私のリズムの全てが、他の場所から持ち込んできたものなのさ。鳥が巣を作るのにあちらこちらからいろんなものを集めてくるようにね。それがジャズだとも言えるんだけど。アフリカ系アメリカの音楽としてのね。だけどそれ自体が、スペインやアフリカの音楽のフュージョンなんだ。それはミクスチャーでもあったんだ。そして、今や、ジャズは国際的なスポーツなのさ。いろんなところから影響されているんだ。アースワークスなんだよね。

A: バルカン音楽が最近面白いですね。数か月前に、ここに演奏しに来たルーマニアのジプシーのクラリネット奏者と会ったんです。彼はもっとジャズをやりたいと言っていました。自分のルーツに即した音楽の方が売りやすいんですね。ヨーロッパをツアーした日本のクラリネット奏者も、ジャズやロックの要素が。。。なのですが、チンドンの音楽としてプロモーションしてました。それで思うのですが、ルーツを分かったんだから、ワールドミュージックの次のステップは、もっと自由にやりたいことをやるということじゃないでしょうか?

B: 私もその通りだと思う。世界中の音楽からの影響や、それらを混ぜ合わせてもいいんだということで、私たちは実に開放されてきたんだ。二日もあれば、ロンドン、ロスアンジェルス、リオ・デ・ジェネロに行って帰って来られるんだ。世界は狭くなっているんだ。ありえないことだけど、たった一つのやり方でしか音楽をやっちゃいけないなんていう人なんているだろうか?大半の人は、『ああ、面白いね。それと、それで、あれをつくったの。すごい。』って言うよね。

A: 世界のいろんな音楽をやっている人と計画されていることはありますか?

B: ええ。そういうことがあれば、必要な時にね。ただ、私としては、これ以上新しいことを立ち上げることができない。とりかかっていることがたくさんあるからね。時間をとられるんだ。私は、アースワークスがどんな風に発展するか楽しみなんだ。

————–イエス、キング・クリムゾン、ジェネシス——-

A: アンダーソン、ブルフォード、ウエイクマン、ハウで演奏していた頃、実際は当時のアースワークスで叩いていた同じスタイルで演奏していましたね。音楽そのものは別のものだったけれど。イエスの初期の頃の演奏のスタイルとは同じ曲でも違ったスタイルで演奏していましたね。
B: (笑)そうかもね。
あれは僕にとっては昔の友人達とヴァケーションに行くようなものだった。クリエイティブなものは特になかった。もうすでに書かれた音楽を演奏していた。それでも、一日か二日位は、あのバンドABWHは、いいバンドになれる可能性もあった。

A: キング・クリムゾンを思いだしてしまう曲が新しいアルバムに一曲ありますね。
B: そうかもしれない。どの曲?
A: 『Half – life』
B: その曲にはロックのフィールがありますね。ロバート・フリップは、僕にとって大きな影響だった。最高のグループだった。本当に好きなものを止めなければいけない時が来るのかも。それは自分が作らなければいけないもののためだけど。アースワークスをやりながら、クリムゾンを同時にやることは出来ない。しかし、アースワークスにはクリムゾンからの影響がたくさん入っている。よく、自分がアースワークスのリハーサルでロバート・フリップが言いそうなことや、過去に僕に言った事をメンバーに言っている自分に気が付く。音楽についての哲学的な考え方。ジャズ?ロック?関係ない。アンプを使って演奏している音楽とアンプを使わないで演奏する音楽がある。
音楽に対する態度にも影響を受けている。弾かなければいけないフレーズが聴こえて来なければ、弾かない。何も聴こえて来なければ、何も弾かない。

A: 過去のあなたのインタビューで読んだことがあるのですが、よく音楽ジャーナリストはイエス、キング・クリムゾン、ジェネシスを一つのスタイルや音楽ジャンルとして一緒にしてしまうことが多い。しかし、自分はこの3つのバンドは全部一緒に演奏をしたことがあって、こんなに3つ違っている方法でやっているバンドはないと思うといっていました。その具体的な例を上げてもらえるでしょうか?
B: イエスはかつても、今でもビーチ・ボーイズをモデルとしたヴォーカル・グループだ。キング・クリムゾンは前衛ジャズ・グループ、歌よりも音楽に興味を持っている。イエスはダイアトニックな音階を使う。キング・クリムゾンは全音音階なども使う。イエスはビーチ・ボーイズ、フィフス・ディメンション、ヴァニラ・ファッジなどのアメリカのポップスに基づいていた。キング・クリムゾンはヨーロッパの前衛音楽に基づいていた。これは全く違うやり方だ。クリムゾンのリハーサル・ルームでは、あまり話さないで、音楽をたくさん演奏する。イエスのリハーサル・ルームは話が中心であまり音楽を演奏しない。全く違った考え方だ。そして、ジェネシス?イエスやクリムゾンにいた時、ジェネシスは私達を真似しているバンドだと思っていた。私たちが始めたことを少し遅れてやっていた。勿論、メガスターになれたのはジェネシスだったけどね。そして、僕がジェネシスで演奏した時は、初めてクリエイティブな段階でかかわっていない音楽を演奏する事になった。人の音楽で、自分が全然その作る時にかかわっていなかったというのは、その音楽に対してあまりエモーションを感じていなかったということだ。イエスやキング・クリムゾンでは、その音楽を一緒に作っていた。自分たちが作った音楽だ、というプライドを持っていた。ジェネシスではスタジオ・ミュージシャンの立場にいた。そして、スタジオ・ミュージシャンとしては自分の程度が悪かった。彼らのせいではない。完全に自分のせいだ。まだ、僕は若かった。バンド・リーダーで作曲家になりたかったが、まだ、やり方が分からなかったから、その間にジェネシスにいた。

A: 『Heart Of The Sunrise』などのイエスの曲に共作者としての作曲家のクレジットが入っていますが、どのように作曲にかかわっていたのでしょうか?

B:今でもこれがロック・ミュージックの問題だが、あの頃は、リハーサル・ルームでみんなで座って、何を弾くべきかを探すのだった。紙には何も書いていないし。だから、何時間もかかってしまう。誰かがベース・リフを作る。そすると、別の人が『いいね。キーボードでこのように弾いてみようかと言う』そすると、最初の人が『それは嫌だ。こんなふうにやりたいんだ。』と言って違うフレーズを弾いて見せる。そうすると、口喧嘩になる。それで、もう一度最初からやり直しになる。そして、みんながアイディアを言い合う。『Heart Of The Sunrise』では何かのベース・ラインを考えたに違いない。(そして、Heart Of The Sunrise』の最初のベース・ラインを歌って見せる。)イエスではたくさんのベース・ラインを作ったよ。僕はドラマーだから、まずベース・ラインが気になる。
何年も経ってから、アンダーソン、ブルフォード、ウエイクマン、ハウ、は独立したグループとして本当のいいバンドになりそうな時期があった。しかし、イエスにした方が売れるということになり、最後にはめちゃくちゃになったよ。
A: ABWHのCDで”Be gone you power play machine, we don’t need your gold (and money)” 『パワー・マシーン、あっちに行け!君のお金も金もいらないよ。』と歌っていますね。

B: それはアンダーソンだね。そう歌っても、次には大きな契約を持ってくるね。彼にとっては、その(コマーシャルなマーケットの)パワー・マシーンが必要なのだね。彼はクレイジーやつだけど、いいやつだよ。クレイジーだけど良い。

最近のフィル・コリンズのインタビューで、フィルはあなたに大きな影響を受けたと語っていましたね。彼はしょっちゅうイエスを見に行って、あなたのドラムのパートを全部学んだと語っていた。

B: そうしていたね。フィルは素晴らしいドラマーだ。ジェネシスはイエスに影響を受けた。そして、僕はキング・クリムゾンに影響を受けた。
みんなプログレシヴ・ロックと呼ばれているけど、考え方はそれぞれ全く違っている。今になってそれが見えて来ていると僕は思う。最もアーティスティックなグループはキング・クリムゾン。ハートが正しいところにある。イエスは自己パロディーのグループになってしまった。まるでトリビュート・バンドが自分の音楽を演奏しているように聴こえてしまう。まるで本物のイミテーションだ。ジェネシスは商業的に成功したバンドになったが、今や解散してしまったと思う。だが、キング・クリムゾンはまだ生きていて、アイディアも持ち続けている。それは変化足続ける勇気を持っていたからだと思う。君もそう思わないか?
A: まだ、彼らの新しいCDは聴いていない。
B: 僕は彼らの新しいCDは好きではないが、それは彼らのせいではない。
A: 僕はミニCDの『Vroom』の方がフルCDとして発売された『THrak』よりも好きだった。『Vroom』の方がエクサイティングだと思った。そして、その頃のライヴを見に行った。
B: ライヴではどうだった?
A: あなたの演奏は好きだった。
B: なぜ6人必要だったのかが分からなかったのかも。
A: 分からなかった
B: 実は僕も分からなかった。
A: ドラムはあなた一人で十分だと思った。
B: 僕も一人の方が良かった。でもロバート・フリップが、この人はドラムを叩くことになるけど、君も一緒に演奏するかと聞いてきた。だから、『いいよ』と答えた。それからパットと一緒に二人で面白く出来るリズム・パターンを考えて行った。『Sex, Eat, Drink, Sleep, Dream』という曲がある。その曲の真ん中の部分のリズムはスゴイ。最高の出来になった。『Baboon』はうまく出来たドラムのデュエットだった。でもこれはやらなければいけない状況から出来たものだった。だから、うまく行くように頑張った。
A: そして、その後の時期が今のあなたのスタイルに進化したのですね。
B: そうだ。1998年以来、アースワークスにフルタイム与えている。プレイはもっと自由になって来ている。もっとジャズの要素が強くなった。ダイナミックスも良くなった。もっと良いミュージシャンになった。そしてもっと良いバンド・リーダーになれた。

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